北海道ツーリング2005前編




はあ???



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 観音岩から延々と歩き、ようやく化石浜との間の岩へへつる。こんなとこへつるのか。海底は深い。落ちたらどうしよう。淵みたいな難所で、AOさんがしきりに去年と地形が変わっていると連発していたが、どうにか張り付きながら移動完了。

 ここは、もちろん干潮の時しかへつることはできない。AOさんは周到に潮位表で調べてきているのだ。最低でもここまで綿密な準備がないと岬踏破は不可能だ。
 へつりポイントを無事、通過すると潮が引いた海面だ。今、海の底を歩いている。なんだか変な気分?

『AOさん、もしかしたら栗(ウニ)拾いできますか?』
 俺の考えることは、こんな緊張感のある局面でもその程度だ。
「栗?山に入れば栗の木があるかも知れないけどクマが居ますよ」
 AOさんは真剣に答えるのだった。

 遠くで漁船がのどかに昆布漁をしていた。
 そして2つ目の潮切りポイント。
『AOさん、先に進めないですよ』
「え〜と、確か岩の間の穴をくぐった記憶があるんですが」
『こ、これっスか?』
 とにかく岩をくぐると行き止まりだ。大きな落石に阻まれ前進不可能。
『岩を登りますか』
 ここは、どうにか上部から乗り切る。そして、もう一度、手前の穴を振り返ると行けたかも知れない?
 暫く悪戦苦闘しながらゴロタをのたうちまわっていると、
『もしかして、この岩穴があちら側の世界への入口ですか?』
「この穴で間違いないでしょう」
 なんとも地元安達太良山系の胎内岩に酷似しているではないか。

 お先に失礼!
 てなワケで、岩穴へ突入。実は俺、狭くて暗いところだけは弱い。地元安達太良の胎内くぐり訓練がここで役立つとは夢にも思わなかった。

 ひ〜ひ〜ふ〜

 ひ〜ひ〜ふ〜

 なんだか腹が張ってきたのは気のせいか?
 なんとか岩穴脱出。でもやっぱり岩がゴロゴロなんだな。

『ああああ〜知床は♪今日も岩だったあ〜♪』
 思わず唄ってしまう。

 道のある道は、なんて楽な道なんだろうと思った。逆に道のないルートの壮絶なことよ。登山靴を履いていてもどうやら足の裏にマメができたらしく、踏ん張るとかなり痛い。
 タケノコ岩が見えてきた。

 しかし、こんなとこをへつって、裏側に行かねばならんのか。戦国時代の勇将山中鹿之助が
「我に艱難辛苦を与えたまえ」
 と神前で誓ったというが・・・

『俺は、もうラクにしてくれたまえ』
 と空に向かって拝んだ。
 こんな不思議な光景も・・・

 岩がなんとも綺麗な幾何学的な紋様になっていた。ここも通常は海の底だ。こんな光景を拝めた人は、史上何人ぐらいいるんだろう?

 とか思いながら、必死にへつっているのであった。しかも画像のほとんどは、AOさんから頂戴したものだし。

 そしてタケノコ岩を抜けると・・・
 こんな状況に。丸のなかの人物が俺だ。

 またも巨大なゴロタを悪戦苦闘しながら前進する。俺は若い頃、とり憑かれたように柔道や空手を修行したが、その時の後遺症で左膝を思いきり屈伸すると激痛が走る。今、まさに激痛のピークだ。それでも岩を回り込みながら先へ先へと進む。

 なんで俺は、こんなに苦しいことをやっているのだ。
 ゼーゼーいいながら前進する。
『AOさん、行き止まりです』
「確か、ここから上によじ登るんだっけ?去年はコマンダーさんにまかせっきりだっんで、忘れたよ」
『マジっスか?』
「とにかく上に登るべ」
 なんか誰も居ない中、なにか遭ってもここでの会話は永遠に封印されるのだろうなとふと思うなり。

 そして岩の頂上へ這い出す。 
 少し、蘇えったが、AOさんが、
「ここからが、本日最強最後のハイライトですよ」
 とニヤリと微笑んでいた。

 俺の背中からはタラリと冷や汗が流れ落ちた。

 帽子だと汗が目に沁みるので、あまり好きではないスタイル、バンダナを汗止めに頭に巻いている。この際、体裁は気にしない。ここは人跡未踏の知床奥地だ。

 はあ?これはなんスか?ほぼ10Mの垂直の崖だった。

 これをまた登るの?「風雲たけし城」ですか?

 AOさんは、
「ここで重い荷物を背負ったまま落ちたら、間違いなく首の骨を折ってあの世に逝けるよ」
 と言ってるし。
『とにかく俺は、岩登りのセオリー通り、片手でザイルを掴み、片手で岩を握って登ります」
 と叫んだ。
「握る岩も脆いんで、気をつけて」
 AOさんの声がする。

 マジっすか?

 え〜い。やったる。俺は北のサムライ北野武だ・・・

 ち、違うよ?

 もっ、もとい北野一機だ。

 北海道ツーリングで数々の試練を克服し、半ば伝説化しているヨッパライダーだぜ!必ず這い上がってやる!必死に手足を動かす。
 とにかく下を見ないように、見ないようにしながら、なんとか登りきる。そして、ようやく本日のキャンプ地モイレウシ湾を望んだ。
「そこから写真を撮ると綺麗ですよ」
 AOさんの声がする。しかし、デジカメを登り口に忘れてるし。
『すんません、デジカメ、下に忘れました』
 というと崖の下のAOさんから両手で丸印が送られてきた。
 AOさんは、ザイルを両手で掴み腕力だけで登るという離れ業を使っていた。というか、この方法でしか登れないそうだ。腕の筋肉が痛くなりそうである。

 湾内に降りると番屋のオジサンがのんびりと釣り糸を垂れている。どうやらマス狙いらしく、それなりに釣果はあるようだ。

『こんちは』
 と、挨拶すると、にっこりと返事を返してくれた。

 テン場には、すでに学生さんたちのグループ(男3女1)が陣取っていた。彼らも礼儀正しい若者ばかりだった。おそらく大学の山岳部か冒険部系だろう?

 AOさんが、番屋の奥さんに交渉し、学生たちが幕営しているポイントのモイレウシ川を挟んで対岸へテントを張る了解をとった。なんでも昨年、キャンパーと番屋とでトラブルが遭ったとか?真相は知らんが?
 AOさんと「スーパーデリオス」で水を浄化し、明日へ備えた。エキノコックス対策である。生水を飲むのは厳禁だ。

 そして夕食。ここで、大変な事実に気づく。米を忘れてきた。

 でも大丈夫なんだな。こういう場面も想定して登山用の携行食も持参していた。意外と用意周到だったりする。
 バーナーでお湯を沸かし、レトルトの茸ご飯を作ったが非常にまずい。でも無理に腹へ詰め込んだ。俺がまずいと思うのだから、かなり美味しくないと思われる。

 知床連山の雲は怪しく広がっている。でも、極限の知床はラジオも携帯も繋がるはずもない。

 AOさんも俺ももちろんペットボトルに詰めた酒を持参していた。AOさんは、リッチにブランデーだったが、俺はブラックニッカの安物である。俺もこんなときぐらいは、いい酒を持参すればよっかったとしみじみと思うなり。だって明日も命を落とす確率が高そうだし。

 ちなみに本日消費したスポーツドリンクは2リットル。水も2リットルは飲んだ。スポーツドリンク系は既に飲みつくしている。粉末のクエン酸ナトリウムも持参すべきだったと思ったが時既に遅し。 
 AOさんが立てたロウソクがゆらりと揺れていた。

 極限、確かに怖い。この川伝いに羆がやってくるかも知れんが、そんなことはもういいと思うぐらい疲労が溜まっていた。そして酔いがまわってくる。辛く長い一日だったが、もう一生のうちに同じことを出来るかどうか?

 20時にはシュラフへ入る。静かな夜だ。 
  一応、不測の事態に備えて、枕元には”熊撃退スプレー”というやつを置いて寝た。これをテント内で発射したら、どういう修羅場が発生するのだろうか?

 かなり疑問に思いつつも、あっという間に俺の意識は落ちていく。



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