北海道ツーリング2004



北炎




早朝の和琴半島







 点滴を打たれながら夕方までぐっすりと寝ると不快感が消えていた。座薬効果で熱も下がったようだ。立ち上がってもふらついたりもしない。医師からは当分の安静とテント泊禁止令を言い渡される。

『俺、体張ってるかな?』
 心配だからと言って玄関まで付き添ってくれた看護婦へつぶやいた。
「なに言ってるの。どうせ今夜もキャンプ場に寝るのだろうけどあんまり無理しちゃだめよ」
『まあ、俺はキャンプ場で生まれたような男だかんな』
「あなたは頑丈な体を持っているけど、今回のことで病にかかっている人の心の方の痛みも分かったでしょう」
 彼女の話にはとても説得力があった。
『さすがに今度ばかりは身にしみたよ』
「気をつけて旅してね」
『ああ、座薬とか非常に世話になった』
 献身的な看護には心から感謝している。夕陽で逆光になった彼女の顔をもう一度見ながらお辞儀をし、マシンに跨った。

 病の人の心の痛みか。なるほど健康な人間には気づかないものなのかも知れないと思いつつアクセルをあげた。 
 キャンプ場に戻るとオーナーのおっさんやおばさんが心配そうに待っていた。
「大丈夫だったかい」
『熱が40度以上あって今まで入院してたよ』
「えー、そりゃ大変だ。今日は暖かくして早く休みなよ」
『ありがとう。そうさせてもらいます』

 しかし、上陸してから初めて食欲が出て来た。売店でジンギスカンを購入して炒めて喰らう。実に美味い。
 珈琲酎も飲んでみた。大丈夫だ。行ける。アルコールも喉を通るんじゃばっちり復調だな。がぶがぶ飲んですっかり酩酊する。健康はありがたいなんて思っていると・・・

 ゲー・・・

 ほとんど吐いてしまった。くそっ病み上がりなのに調子に乗り過ぎたか。情けない気分で後始末をした。
 ぐっすりと寝た。夜こんなに熟睡できたのはこの旅初めてのことだ。早朝に目覚め、ジッパーを開け外に出ると素晴らしい屈斜路湖の日の出だ。

 露天風呂で体をじっくりと暖めた。今日からツーリングをしっかりと再開しよう。発熱という思わぬアクシデントで今回の旅の構想が乱れに乱れてしまったが和琴を基地に道東を走り回るつもりだ。
 静かにキャンプ場を出た。早朝の北の大地は何もかもが、今、目覚めたばかりといったシチュエーションである。今回の俺の旅と同じように。

 朝靄残るR391を標茶に向かい疾走する。ほとんど俺のマシン一機が大地を突き抜けていく観があった。やがて道道14へ突入。あたり一面広大な草原地帯だ。路面状況もばっちりだし、凛とした早朝の空気も美味い。

 この贅沢な走りを満喫しているうちに厚岸駅到着。目的はもちろん駅弁「かきめし」だ。いつも遅い時間に来て売り切れの苦汁をなめてきた。これだけ早朝ならありつけるだろう。キヨスクを覗くとあった、あったぜ。何年越しだろう。ここまで辿り着くまで(涙)
 さっそく近くの広場で弁当を開けてみる。ほっかほっかだぜ。牡蠣やアサリがご飯に乗っている。一口ご飯を頬張るとよく味が沁みている。

 ウッ、ウメー・・・・

 ただ病み上がりの俺には適量だが、普通の成人男性なら2個くらいは行けるかも知れねえな。

 あっという間に完食。
「あんた、どこから来た?」
 弁当箱を片付けようとしているとかなり高齢の老人が話しかけてきた。
『はあ、福島です』
 手を動かしながら俺は応えた。
「な、なに福島だと。わ、ワシも福島の出じゃ。三春じゃ」
 かなり喜んでいる様子だった。

「戦争中はな。会津若松、つまり若松連隊で従軍したんだ」
『通称白虎連隊ですね。俺の祖父も徴兵されました』
「な、なんじゃとお〜」
 じいさんの肩がわなわなと震えている。
「あ、あんたのきらきらと輝くその眼光、ワシには覚えがある」
『おじいさん、ちょっと・・・俺は戦後遥か過ぎてから生まれたんですよ。従軍経験は当然ない』
 参ったなあ、もう。

「あんたのじいさんの名前と階級、よかったら教えてくれんか」
『キ、キタノです。キタノ少尉』
 祖父は明大卒業後、旧制中学で社会科の教師となる。また大学卒業と同時に陸軍予備将校へも任官していた。そして戦局の悪化に伴い若松連隊へ赤紙召集されたらしい。そんな話を老人にした。
「もうワシは85歳じゃ。ボケちまっている。当時の上官の名前は全部忘れた。でも一時、似た経歴の隊長の部下だったことがあるんじゃ。ワシの記憶じゃ小学校の先生じゃったという人なんだが」
『へえ〜、そいつは奇遇ですね』
「闊達で酒が好きな隊長殿でな。出撃の前夜になると貴重なアルコールを飲ませてくれたんだ。体を張るぞといいながら」
『まっ、まじっスか?』
「ああ、そのくせ、いつも自分ばっかり怪我してたな」

 うっ?

「どう見たって軍人肌の人なのに職業軍人にはならなかった。強制されるのが嫌いだって言ってたよ。子供が好きで、育てるのに生きがいがあるとか酔うと話してたな」

 ドキッ?

「ワシは最後はウルップ島で終戦となって生き残ったんだ。隊長は、この戦争には無理がある。必ず負ける。その後の日本を立て直すのがおまえら若者の役目なんだ。なんとしてでも生きのびろと言い残して南方戦線へ転属して行かれたんじゃ。転属の理由は軍事機密だったが、どうやら語学が堪能だったことに関連していたらしい。

 あの隊長との別れは辛かった。本当に大泣きしてしまったよ。でも、お蔭でワシらは敗戦後、シベリアに抑留されても自暴自棄にならずに内地へ復員できたんじゃ。そして帰還後、入植で福島から厚岸に移住したのだ。残念なことに肝心の隊長は玉砕戦で戦死したと風の噂で訊いていたが」
 老人は淡々と往時を述懐していた。

 かなりキタノ少尉と符合しているが、キタノはソロモンの孤島で50名の部下と最後の2人になるまで戦い抜きしぶとく生き残った。あたかもランボーの如し。そして無事内地へ復員し教職に復帰する。ただし、数年で戦争中の無理が祟り、病で若くしてこの世を去った。なんでも教室で板書中に崩れ落ちるように倒れ、そのまま息絶えたそうな。白墨を握りしめながら・・・・

 おそらく老人の記憶には複数の上官の記憶が混同しているのではあるまいか?そのなかのひとりにキタノ少尉がいたとしても不思議ではない。

 さて、そろそろ出発するか。マシンに跨った。
「隊長、お気をつけて」
 だから違うってと思ったがいいかあ。

『見送りご苦労。これより本官は道東南部へ向け出撃する』
 俺は冗談のつもりで言ったのだが。

 老人は俺の顔をじっと見つめていた。やがて老人の目からはなんと一筋の涙がはらはらと流れ落ちていた。
「隊長、自分は厚岸の地をいつまでも死守しております。またきっとお立ち寄りください」
『どうかいつまでもお元気で』
 バックミラーを見ると老人がまだ手を振ってくれている。

 俺の目からも自分の意思とは関わらず熱いものが自然に込みあげてきた。

 筆者の容貌・気質は、早世した祖父に生き写しだと生前の祖母からの証言もよく聞かされていた。おそらく俺のDNAの一部にあるキタノ少尉の記憶からの涙かも知れない。

 旅を長く続けていると、摩訶不思議な出来事に遭遇することもままある。 




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