第3章 知床岬先端



 山崎菜園で昼食をとり一路知床を目指した。途中、ラジオが壊れているのを思い出し、斜里の町のホームセンターで千円のコンパクトラジオを購入する。しかしこのラジオ、安いだけあって感度が非常に悪かった。

 峰浜付近を通過するといよいよ半島の付け根に突入したことを実感する。3年連続訪れている大自然、野生の王国知床だ。北海道では礼文と並んで、最も好きなポイントのひとつでもある。なんだかワクワクしてくるなあ。暖かくなってきたので、オシンコシンの滝付近で防寒着を脱いだ。

 時間を見るとYH入りするには少し早い。そこでまずオロンコ岩に向かった。大きな岩で知床八景に指定されている。昔この岩にオロッコ族という部族が生活していたらしい。急な階段を大汗かいて登るといい眺めだ。デジカメを出し、ありゃ、無い。バイクに忘れてきてしまった。トホホ。

 続いて知床五湖へ向かった。ここの駐車場は、今年から駐車料金をとっている。知ってたらこなかったのに。特に午後は観光バスがばんばん入って来て自然観察ならぬ人間観察になってしまうからだ。金を払ってまで人間観察するほど酔狂ではない。レストハウスでフランクフルト1本をたいらげ早々と引き上げた。

 岩尾別YHに入った。かなり昔からやっているらしく風格のある建物である。ちなみに職場の年輩の同僚が30年以上前の学生時代にここに泊まったことがあるそうだ。礼文の桃岩荘YH、襟裳岬近くの襟裳YHと並んで、かつては3バカYHと喧伝され勇名を馳せたらしい。大丈夫かな?ウトロ側ではこれより先に宿はない。電気も自家発電。TVも衛星以外は受信できない。もちろん携帯は圏外。ここの受付をしてくれたヘルパーさんも丁寧で親切な方だった。驚いたことに英語ペラペラだし。でも、近年、YHでは人手不足のようだが、ここはさらに深刻らしい。


 夕食をおいしくいただいた後、夕陽ツアーに参加してみた。歩いて数分の海岸に行くだけなのだがこの付近に鮭マス孵化場があるので通常は立ち入り禁止。岩尾別YHのみ団体行動を前提に特別に立ち入りを許可されているとか。案内はこの宿の娘さん、なおちゃんとハスキー犬カイ。カイは、エゾシカを喰い殺す程強暴らしいが人には従順だった。なおちゃんから、クマが出るかもと言われビビる。でも代わりに鹿がでた。
 


 ちょっと雲が多いが何とか夕陽を拝むことができた。

 その後、ミーティング。と言ってもペアレントさんの観光案内である。明日は知床でも久々に好天になるらしい。ペアレントさんは、盛んに羅臼岳登山を勧める。先週は天候が悪くて登りたくても登れずに羅臼岳を諦めて帰る人が多かったとか。そこまで言われると羅臼岳に登りたくなるなあ。ネーチャーボート、正しくはネーチャー・ウォッチング・ボートなのだが、こちらは波が少しでも荒かったり、霧が発生するとすぐ中止になるそうだ。結構な確率でヒグマも観れるというのも魅力的だ。いろいろ悩んだが長年の悲願、知床岬を自分の眼で観る自然観察船の方をまず選択した。

8月6日(月) 晴れ

 朝8時過ぎ、ウトロ港からネーチャーボート(と言っても普通の漁船)に乗り込んだ。乗船したのは十数名くらいだったと思う。熊の湯キャンプ場から来た千葉のライダーが話しかけてきた。彼は今朝、ラジオで弟子屈付近の気温が氷点下になったとか摩周湖付近ではうっすらと雪景色になったとか聴いてきたそうである。ほんとかね。耳を疑ってしまう。真夏なのにどうなってしまったのだろう、今年の北海道は?


 船が出航し、船頭さんの興味深い解説が始まった。

 

 3年ぐらい前から本来穏やかな知床の夏の海が荒れ始め、昨年は酷く、今年はもっと悪いので欠航する日が多くなった。以前はメバルという魚がガヤガヤいて別名「ガヤ」という渾名がついた程である。ところが数年前から急速にガヤが姿を消した。ガヤは環境の悪化に敏感な魚である。防波堤のコンクリートから漏れるアルカリ毒や生活排水が原因ではないかとのこと。昔からこの地に暮らす船頭さんは「知床の海は死にかけている」と嘆いておられた。

 左の画像は、五湖の水が断崖に流れ出している。船頭さんの話だと五湖の駐車料金は払う必要がないそうだ。なぜなら協力金という名文だから。さらに天下り財団の運営だから半分以上、元官僚のふところに入るとか。マジっす?  


 ご存じカムイワッカの滝。英語とアイヌ語の共通点って意外に多いらしい。ワッカもWATERも意味は水である。

 以前、このあたりに硫黄の採取所があり、多くの労働者が中毒で犠牲になったそうな。経営者はたくさんの人命のお陰で巨万の富を成したが因果応報、一族はいい死に方ができず今は子孫もないとか。

 滝の下は硫黄で黄色くなっている。もちろん飲めない。カムイ、すなわち神は、仏ほどは悟っていないので悪い神もいる。悪い神の飲む水とアイヌでは語り継がれてきた。


 カシュニの滝はチュラセイ、つまり滝が落ちている所という意味だ。先ほどルシャ川付近で霧や強風に煽られた。ちょうど山と山の谷間らしく海上は荒れやすい。ここから手前のルシャ川を見るとなるほど霧で視界が悪い。

 意外に草原が多いのは、松の原生林を伐採しつくして木が生えないそうだ。ある官僚がヘリコプターの運送会社に天下りしこのあたりの木々をさらに伐採しようとしたらしいが、これにはさすがに全国から猛烈な抗議運動が起こり、何とかこれ以上の環境破壊はくい止めることができた。胸がスーっとするエピソードである。


 ただこの知床が国立公園に指定される直前にある財閥系の企業が国と結託して土地転がしをし大儲けしたそうな。マジっすか?船頭さんのお話は衝撃的なことばかりで唖然としてしまう。

 知床岬にも義経伝説があり、義経岩や弁慶岩という巨岩もある。昔、弁慶の妹が巨大なマムシに襲われそうになった時、弁慶がマムシを踏みつぶして退治した。妹は、窓のある岩(眼鏡岩)から、その様子を恐る恐る眺めていたそうな。踏みつぶされたマムシは、そのまま獅子岩になったという。非常にうまくできた伝説だ。


 遠くから見ると観音様に見える。もともとはアイヌ語でレタラワタラ、つまり白い岩という意味。このあたりは、漁師番屋が多く、船頭さんのお兄さんも働いていたそうだ。何でもそこの網元は酒も煙草も賭け事、女も一切やらない真面目な男だったが、いざ漁になるとエライこきつかわれたとのこと。今は、船の性能がよくなり番屋に住み込まなくても斜里港あたりから通勤できるのでいいが、ガス代が凄いようだ。


 ついに来たぞ!知床岬先端だ。長年の悲願達成。一昨年からこれを見るために知床に来ていると言っても過言ではない。しばし、シャッターを切るのも忘れるくらい感動してしまう。先端部分は上陸禁止なので、しっかりと眼に焼き付けた。

 このあたりの夏の気候はかなり良好で、獲物の魚も豊富だった。そんなことからアイヌの遺跡も結構多いそうだ。また完全な松の原生林が残るのも先端部分3分の1を残す程度とのこと。そこまで知床岬は開発されつつあったのだ。ちょっとがっかりする。


 復路も船頭さんは、陸地すれすれを操行してくれた。また丁寧な説明もさらに続く。

 ひかりごけは、羅臼では有名だがここもおそらく間違いないだろうとのこと。外国の偉い学者さんを乗せたときもここを見て「ワンダフル」を連発し、「貴重なものだ」と言い残した。


 また昨年、このあたりにイルカが大量に現れTVで放映になり大反響だったそうだ。ただ、船頭さんは、あまり報道してもらいたくないらしい。なぜなら聞きつけたイルカ業者が全国から殺到し、イルカを捕り尽くしてしまうから。そして某有名スーパーあたりで、イルカの肉を石巻産鯨肉とかラベルに貼って販売しているのだ。酷い話である。鯨とイルカの肉の味は、ほとんど同じみたいです。皆さんが買った鯨肉はイルカ肉の可能性が大かも知れません。つまり産地偽装、いや商品偽装かな。


 14時を過ぎ、いよいよネイチャーボートのクルージングも終わりの時刻が迫ってきた頃、船頭さんは、崖の上を指差して四阿(あずまや)の話を始めた。昭和39年、知床岬が国立公園に指定され、環境庁が始めにやったことは、公園内に四阿を築いたことらしい。お粗末過ぎる。さらに近年、「知床の自然を守るために!」と斜里町によって、公園内の広大な森林を伐採し、「知床自然センター」や「知床100万平方メートル運動ハウス」が建設された。
 
 何もない自然のままが知床の良さなのに「自然を守るために」とどんどん自然が破壊され、かつてのような秘境ではなくなっているそうだ。寂しい話である。


 船は無事ウトロ港に接岸。知床岬はもちろん最高だったが、知床の自然をこよなく愛す船頭さんの話が非常に心に残った。このままでは大好きな知床の自然が消えてしまうだろう。

 矛盾するようだが、僕はそれでも知床岬へ歩いていきたい。想像を絶するような難関を2泊3日歩いてしか辿り着けないシリエトク踏破の夢が、海上から知床岬を望んだ刹那にメラメラと燃え上がってきた。

 あっ、そうそうヒグマを見てなかった。山で遭うのは嫌だけど海上からならお会いしたかった。

 明日は、いよいよ羅臼岳登山。百名山のひとつに挑む。登山初心者の僕がいきなり羅臼岳のような高名な山へ登って大丈夫なのだろうか?今日会えなかったからってクマさん、明日は現れるなよ。いくら元格闘家のキタノでもクマには勝てん。タッキーが描いたこんなことは絶対に不可能です。押忍!

 それでは次章をお楽しみに!