第1章 オンコの庄探訪記(焼尻島)


焼尻島の日の出
 

 7月29日 暑い。ダラダラと出発の準備をした。今年もロングな北海道ツーリングの旅に出れる。ウキウキ気分といきたいところだが、愛犬が交通事故に遭い重傷。6年前、生まれた直後に道路に捨てられていたのを見かねて拾い、哺乳瓶で牛乳を飲ませながら育てた。息子の面倒もよく見てくれる。そんなお人好し?のイヌなので我が子同然に思っている。出発前、吠える力もなく横たわり、首だけ上げて寂しそうな顔をしているコロ(イヌの名)の頭を撫でてやった。そして妻に後事をくれぐれも託して出発。



仙台港フェリーターミナルにて

 夕方頃、仙台港に到着し、無事フェリーに乗船する。そして、ひょんなことから、3人のライダーとロビーで知遇を得た。BM乗りのイマイさんご夫妻、セロー氏たちである。皆さんと歓談しながら過ごした。イマイ夫妻は、キャンプやライダーハウス(以後RH)をメインにできるだけ経費をかけないように道内を旅するそうだ。セロー氏は、とりあえず白金温泉近くのキャンプ場に向かい温泉に浸かってまったりしたいと言っていた。



花田家ニシン番屋

苫前の風力発電

吉里吉里

 7月30日 苫小牧上陸、ひどく霧が出ている。イマイさんたちと反対方向にバイクがあったらしく、別れの挨拶ができず残念。霧の苫小牧を一気に駆け抜ける。途中で晴れてきてかなり暑い。岩見沢から高速に乗る。途中、SAでカレーライスを食べた。そしたら何だレトルトじゃねーか!書き遅れたが今日の目的地は羽幌である。焼尻・天売に渡る基地にするために選んだのがとほ宿「吉里吉里」。両島についてはネット上などでいろいろ調べたのだが、バイクを置いていくのがベストだとか。吉里吉里ではバイクを預かってくれるそうな。

 17:00 吉里吉里到着。夕食は超豪華。アブラコのフライ。ソイやヒラメの刺身。出るわ出るわ9品。食後は中庭で酒を飲み、大笑いしながら宿泊者の皆さんと歓談。と言っても僕がコメディアンみたいにしゃべりまくっていたようだが・・・。しゃべり過ぎかな。反省。マルヤマさん、キタジマさんご夫妻、アンマさん、マツノさん、たいへん失礼しました。でも楽しい夜でした。

 7月31日 朝から結構暑い。朝食後、皆さんに別れの挨拶を済ませた。マツノさんだけは、昨夜から僕と一緒に焼尻島へ行くことに決めている。かねてからの手筈通り、島へ渡るためにバイクは吉里吉里に預かってもらう。そして、オーナーにクルマでフェリーターミナルまで送っていただいた。羽幌のフェリーターミナルは、小さくて可愛い。フェリーも小型のもだった。いよいよ出航。揺れる揺れる。50分で焼尻港到着。マツノさんは、周囲12キロのこの島を歩いて回るので別行動。僕は根性がないのでレンタルバイクにしようっと。1時間1500円、でもヤマサ食堂で昼食をとると30分延長してくれるそうな。さっそくヤマサ食堂で交渉成立。申し込み用紙に住所・氏名等を記入していると店長が「うひょお〜。福島だあ」と大袈裟な素振りで驚いていた。あんまり内地の人間は来ない島なのかな?店長から島の概略を聞いて探索開始。



綿羊牧場
 島の3分の1が鬱蒼とした森に覆われているが羊の牧場「綿羊牧場」も名物のひとつ。まるでスコットランドの趣である。気温は35度くらいだろう。羊たちも暑いらしく木陰に非難していた。そりゃそうですな。綿つき毛皮着てるのだから。背中のチャックはずしてやろうか?


 続いて、捕鯨船船長マクドナルド上陸の地。日本史の好きな方ならご存じのはず。日本で最初に英語の教師になった方なのだ。なんでもペリー来航の頃、焼尻に上陸、無人島と判断し利尻に渡った。同地で役人に捕まったそうな。
マクドナルド上陸記念碑



オンコの庄
 「オンコの庄」、大陸から吹く激しい季節風や雪の重みで普通なら15メートルくらいに成長するするオンコ(イチイ)の木が上に伸びず横に広がっている。

 帰りにバイクでヤマサ食堂に向かうとマツノさん発見、この暑さの中、何とランニングしているではないか。凄い根性。食堂でマツノさんと食事をすると午後は天売を完歩(完走)して引き返して来るとか。凄すぎますよ、マツノさん。それにしてもヤマサ食堂の「ウニ丼」殻だしでおいしいの何のって・・・


 「会津藩士の墓」、宿の近くで発見したのでお参りさせていただいた。幕末、たくさんの会津藩士が北方防備に駆り出され、命を落とした人も多いとか。多分、ビタミン不足、生野菜不足からの壊血病だろう(予防するにはあらいる栄養素が含まれるというアザラシの生肉。これを当時のアイヌの人々のように食べるしかないらしい)。設備もろくにないなか本当にご苦労されたでしょう。道内各所に会津藩士のお墓が現存する。
 
 こういった先人達の苦労を忘れてはならないと改めて思った次第。合掌。

会津藩士の墓



旧小納家
 小納家は石川県出身で、明治期の焼尻島へ移住、そして漁業のほか呉服、雑貨商などを営むたいへんな富豪となった。旧小納屋敷の1階は、和風店舗、2階はモダンな洋風建築。このスタイルは、明治中・後期の市街地によく見られるものだったそうだ。屋根の亜鉛鉄板はイギリスから輸入したものと伝えられる。とにかく貴重な初期洋風建築のようだ。(僕は建築系はまったくの素人なもので)小納家はニシン漁の衰退とともに焼尻から立ち退き、建物は子孫の意向で羽幌町に寄贈されたとのこと。閲覧見学料金300円なり。
 北海道にはニシン景気時代に建造された古い豪邸が多数存在するが、莫大な維持費がかかるらしい。このように管理しきれずに公的機関に寄付する例が多いという話だ。

 今夜の宿は「野越民宿」。この宿のご主人は、漁師をされている。お世辞にも綺麗な宿とは言い難いが、ウニ、ソイの煮付け、ヒラメ(ご主人が朝、獲った魚介類)の刺身など、出るわ出るわ、満腹。これで1泊2食5千円也。食後はマツノさんと旅について熱く語り合い、いつの間にか眠りに落ちた。

 8月1日 早朝に起床する。港で綺麗な朝陽を撮影するなど散策を楽しんだ。焼尻島は、のどかでこじんまりとした、そしてどこか懐かしさを感じさせる島である。

 朝食後、天売行きのフェリーに乗船した。夏の強い日差しを思いきり浴びたマツノさんが港から手を振ってくれていた。絵に描いたような実直な人柄の旅人マツノ氏は後刻の便で羽幌に戻るそうだ。その後、彼からいただいた便りによるとこの日は吉里吉里にふたたび投宿されたとのこと。
 

 ※マツノさん、写真とお手紙ありがとうございます。とりあえずこの場を借りて御礼申し上げます。