最終章 鶴さん、こんにちは。そしてさようなら!(釧路湿原)


画像中央に丹頂鶴

 「汽車は、太平洋岸へ出た。波は荒れている。このあたりはもう根釧原野の一部である。一面の谷地坊主で、耕すにも耕しようがないといわれるところである。夕闇がもうその原野迫って来た。そして間もなく星もない暗い夜が来たとき、たちまち原野の彼方に赤い灯りが見えはじめた・・・」島木健作の『嵐のなか』で、夜の釧路湿原を走る野火を描いた一節である。

 蒸気機関車が走る時代、湿原の草原は機関車から出る火の粉のために、毎年のように野火が走っていたそうだ。秣を刈るのに邪魔になる枯草を焼くためにこっそり火をつけることもあったとか。どこまで燃えても、営巣の鶴か野兎の他に、このために迷惑する人家もなかったからである。

 遙か向こうまで禾本科の植物が、麦畑のように風にそよいでいる。ほとんどがノガリヤスという野草の原野で、それに混じって葦、黄色い花をつけて、川に鱒が入ったことを知らせるハンゴンソウ、それからこの湿原を夕暮れ色に染めるタチギボウシの群落。


 そして痩せた木立が悲しげに立っているのはエゾハンノキ。そんなところにはにはオカッパ頭のようなヤチ坊主が並んでいる。ヒラギシスゲという菅の一種がつくった、集根である。ヤチ眼という、底なしの落とし穴もかくされている。ヤチとは泥炭湿地のことである。 日本に残された数少ない丹頂鶴の故郷がこの湿原である。文明を持つ人間と餌を狙って彷徨う野獣どもの近寄れないヤチ眼の砦の奥は、彼らが安心して枯葦を敷いて産座をつくるところである。

 8月14日早朝、参加者がジープ2台に便乗し、丹頂鶴見学ツアーに出発した。 



画像中央につがいの丹頂鶴

 オーナーの案内で、鶴鑑賞ポイントをあちこち回る。でもなかなか鶴に会えないなぁ。とある橋の上にて、ようやく発見。つがいプラス雛だ。デジカメを3倍ズームにして画像を撮りまくるが、ちと遠い。オーナーから「ここは心霊写真ポイントだから変なの写るかも」という恐怖のアドバイス?をいただく。


左から埼玉の旅人さん、コウノさん、イナバさん
 いくつか丹頂鶴ポイントを回った。中には鶴ポイントが民家の軒先にもある。ガイドしながら運転してくれているイナバさんは、北海道を旅するうちに資金が尽き、今日からヘルパーさんに変身したそうだ。彼の話だとこのあたりの民家に来る鶴は固定されていて、誰々さんちの鶴というキャンパーネームを持ってるとか。だが一軒だけ鶴が寄らない家もある。そこはかつて飼いイヌが鶴を噛み殺した事実があるそうな。

 宿に戻って朝食タイム。みそ汁の旨いのなんのって、おかわりしまくり、ご飯も丼2杯食べた。普段、そんなに食べないのに肥る訳だ。


 ボートで、釧路川を下るツアーに参加してみた。メンバーは、埼玉の旅人さん、女性ヘルパーのコウノさん、そして塾長の3人。今日からヘルパーのイナバさんにポイントまで送っていただく。

 ゴムボートの操縦は、意外に難しい。途中、枯れ木に突っ込んだり、グルグル回転したりと悪戦苦闘。流れに任せるのが一番楽だわ。他のボートやカヌーに抜かれても終始のんびり川を下る。

鴨の親子
 鴨の親子やミンクくんに出会う。えっ、なんでミンクが釧路湿原にいるんだ?どうやら近くのミンク工場から逃げたやつが繁殖しているらしい。大丈夫かね?生態系?

 11:00〜15:00まで、延々4時間、充分に川下りを満喫した。イナバさんに迎えに来ていただき、途中、湿原温泉でゆっくりと汗を流す。いい湯だ。



シーフードバーベキュー
 夕食は、外でシーフードバーベキュー。今夜も新たなお客さんで賑わう。新鮮な海の幸をガンガンいただき、したたかに酔った。つーことで早めに就寝。やっぱり疲れが溜まってんのかなあ〜。やけに寝るのが早くなった。


 8月15日 早朝起床。オーナーの奥さんが、わざわざ見送りに来てくれた。彼女は僕の荷物の多さに驚いている。充分にお礼を言い出発。さらば釧路湿原、そして鶴さん達、再見!

 いよいよ今夜が道内最後の夜。目指すは富良野だ。ゆっくり温泉に浸かろう。

 夕方に帯広から富良野に入った。有名なカレー屋「唯我独尊」で、ソーセージカレーを賞味している頃、雲行きが怪しくなった。雨だ。

モトトレイン(狭すぎる)
 上富良野の「白金温泉キャンプ場」でテントを設営するつもりだったのに無情の雨。しかも降り方がハンパじゃない。雷も鳴っている。なんでいつもキャンプしようとすると天候が悪化するんだ。まさに天井をひっくり返したような豪雨となった。

 やむを得ず、富良野駅前のツーリングトレインに宿をとった。狭いし満杯。寝相の悪い僕にとっては最悪だな。自分のスペースの幅が70センチくらい。恨むぜ雨。トホホ・・・



りえちゃんが入った風呂
 8月16日朝、上富良野の「吹上露天の湯」に行ってみる。早朝のせいか人が少なくゆっくりできる。でもやっぱし熱めだな。このお風呂に「北の国から」で宮沢りえちゃんも入ったのかぁ〜。うれしいなあ。なんだ、やっぱり僕も俗物だなぁ〜。(笑)

 その後、ひたすらR237を走り、太平洋側の門別に出る。そして苫小牧に。まだ時間があるのでラーメン屋「羅弥陀」で腹ごしらえ。行列ができている。去年は「カレーラーメン」を食べてすごくおいしかった。今年は基本の「醤油ラーメン」をオーダー。こってり系だ。僕の味覚にはぴったり。満足の逸品である。


 夕方、フェリーに乗船した。船内は満室である。また狭い2等で寝るのか。うんざり。デッキにテント張りたい心境だな。

 でも軽く酒を飲むとバタンキュー。寝坊して危うく名古屋まで行くところだったぜ!

 今回の北海道は、ディープだったなあ!そしてこれからの旅は、だんだんサバイバルになるのだろう。いつの日か知床岬まで徒歩でチャレンジしたいなあ〜。命の保証はないけど(笑) 

ゼファー、大儀であった!
 永久塾の皆さん始め、お世話になったすべての方々、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。僕はまだ北海道モードが抜けません。(爆)

 19泊20日、総走行距離約3000キロ。去年より2000キロも少ない。でも「記録よりも記憶に残る旅だった」

※最後に北海道、うまく言葉が浮かびません。以下、我らが会長・コマンダーさんのHP「ぼちぼち行こか」からの抜粋。まったく同感です。


  うに、かに、いくら、メロン、じゃがバターおいしかった。それから星、風、空気もおいしかった。そして北海道に来てる旅人もおいしかった。北海道の人達は一人旅を暖かく迎えてくれる。ライダーハウス然り、とほ宿然り、 よそでは、考えられない宿なんや。旅館に泊まったならば広い部屋に一人、当然値段 は高くなる。俺は観光旅館で宴会する事が目的ではないんや!ましてや観光バスで寝 る事が目的と違う。俺は旅が目的なのだ。だいたい団体旅行いうのは旅とはいわへん。それはレジャーと呼ぶものだ。キャンプ場もそうや、地元のはキャンプがメインのレジャー施設みたいや。しかし 北海道のキャンプ場は旅がメインの寝場所みたいやわ。レジャーの人達は金を落として行くが旅人はあんまり金を落とせへんのに、北海道の人達は何故に旅人に優しいのだ。北海道の開拓に集うた先人のフロンティア−スピ リットが旅人を見捨てておけないのか?自然の厳しさ故、優しくなるのか? なんでや!なんでやねん!なんでそんなに親切に出来るんや!俺が何したっていうんや!俺は、北の大地になんにもしてへんやないか!甘やかさないでくれ!また来たくなるやないか!ありがとう!  

コマンダー会長談

FIN




PS.


海で泳ぐコロ
 8月17日の午後、「おい、今帰ったぞ」と威張って家に帰還。真っ赤なウソです。「ただいまあ〜これ、お土産」。気持ち悪い裏声で妻に手渡し、とりあえず機嫌をとった。

 コロは、大丈夫かと旅先から何度もTelをした。妻は、自分が旅先なので気を遣って、「何とか大丈夫よ」と言っていた。でも本当は重体だったらしい。もちろん帰ったときにはどうにか持ち直していたが・・・(現在、通院加療中)


 ツーレポ、お楽しみいただけましたか。いつかどこかの旅の空にてゼファー乗りの僕を見かけたら「ツーレポ読みました」と一声かけてください。「豪華粗品」を漏れなく進呈いたします。豪華粗品とは100万ドルのキタノスマイルだったりして?

 ではご覧の皆様、次回の旅を期待しないで待っててください。
 ご完読深謝いたします。

記事 北野一機

 2000.9.9 <了>
 
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