2004.12.22 〜 2005.1.3
7
「我家」のご主人
川湯温泉を雪のなかひとり歩く。おそらく泉質といい、周囲に点在する無料露天風呂といい、またシチュエーションといい、川湯温泉に匹敵する温泉は道内にないと個人的に思うのだが、温泉街に人影は見えない。 足湯でしばし、体を暖めた。実にのんびりした気分になれた。平成14年4月オープンのこの施設は24時間無料で開放されている。 |
今夜の宿は「温泉民宿我家」だ。実は、こちらの宿、たびたびアウトドア誌にも掲載される知る人ぞ知る有名な民宿なのだ。川湯唯一の源泉100%、「含硫化水素・食塩-酸性明礬緑礬泉」と温泉成分の多彩なものでツウも唸らせる温泉を備えている。ご主人は70歳をゆうに超えるご高齢ながら、現役の猟師でハンターガイドも兼ねる鹿撃ちの名手としてその名も非常に高い。 豪奢な温泉ホテルが並ぶなか、「我家」は昔ながらの温泉宿の風情を残しつつ、ひっそりと建っていた。 『こんにちは。予約していた北野です。お世話になります』 玄関横の受付のおばさんに話しかけた。 「いらっしゃい。あっ北野さんね。ゆっくりしていってください」 1階のシンプルな和室へ案内された。 部屋で一服し、噂の源泉100%のお風呂へ向かった。 『うっ、熱い・・・・・』 泉温は、40〜65℃。かなり熱い。でも屈斜路湖付近のことなら大抵知っている俺は、ここらの源泉が例外なく熱いことぐらい充分承知だ。そしてここの温泉は切り傷からの出血なども瞬時に止まるほど効能は高い。 |
「ご飯ですよ」 夕食の用意が整ったようなので食堂へ入ると・・・ 『こ、これは・・・』 鹿肉だ。たっぷりの鹿肉をメインとした夕食のおかずが並んでいた。 暫く火で炒めた鹿肉の味は美味しいの一言。鹿肉は癖が強いと思い込んでいたが凄く食べ易い。生姜醤油で食べるタタキも秀逸。それもそのはず鹿肉を美味しく食べる研究をご主人は30年以上してきたそうだ。 |
いや〜実に美味いっス。 ビールの杯がぐいぐい進む。なんというのかな。牛肉に近い味だが、大地のミネラルをたくさん含んだ濃厚だがくどさがない味。そして歯ざわりもたいへんよろしい。 なんでもご主人自らが仕留めてきた鹿の肉だそうだ。解体から皮のなめしまで一人でこなす労力は大変なものだとか。 |
おかずの小鉢の蓋を開けてみると好物のイクラが入っていた。ますます嬉しくなるねえ。 「あんたどっから来た?」 俺のほかに客が2人ほど食事をしていた。 『はあ、福島ですが』 「俺らは秋田だ。この宿は、冬はハンターの溜まり場だぞ。よく判ったなあ」 と言いながら酒を注いでくれた。人がよさそうで朴訥な感じする男だった。しかし、意外に同業者だったりする? |
「いや〜、今日は霧多布まで猟に行ったがぜんぜんだめだ」 秋田の某氏は愚痴をこぼしていた。 『電車で今日、霧多布湿原を通過したけど鹿が線路の上に居て何度も急ブレーキかけられましたよ』 「そうかい。そりゃおかしいな。明日も浜中あたりに行ってみるべ」 相棒に囁く。 ところで、宿のご主人のちゃんちゃんこって? |
「ああ、これか。キタキツネの毛皮だよ」 マジっすか?まるで正吉のじいちゃん(ドラマ北の国から)じゃないですか。 「もっと凄いのがあるよ」 ご主人が取り出してきたものは・・・ 「キタキツネ30数頭分の毛皮のコートだよ」 ゲッ!そんなことしたら正吉に怒られますよ。ルーをそんなにいっぱい(爆) 「さすがに銀座のママみたいで、これ着て歩く気にはなんねえがな」 |
おじさんは、にやにやしながら呟いた。 「以前、このあたりのキツネが増えすぎてな。悪さばかりするんで役場から駆除依頼がきたんだ。1頭あたり3万円の報奨金ももらえた」 なんだか自分の日常と別の空間の話を聞いているようだった。 「でもな、キツネを撃つと鹿が獲れなくなる。これは不思議な現象だ」 石油ストーブの火をじっと見つめながら焼酎をグッと煽った。 「あっ、それジンクスというやつだべ。猟師やっていると誰もがひとつ持っているもんだな。おじさんはキツネだったのかい」 秋田の某氏が相槌をうつ。 『俺も猟師になれますかね』 秋田の某氏が 「今からじゃ遅いべ。それにあんたのそのきらきらした綺麗な目つき、殺生は無理だ。情にもろい性分に決まっている。猟師には向いてねえ」 あっさり却下されてしまった。 「明日も冷えんのかなあ。またバッテリーやられたらたまんねえな。秋田も寒いけどせいぜいマイナス10℃だ。ここいらは連日マイナス20℃ぐらいになるからな」 某氏がため息まじりに呟く。 「なんも。バッテリーあがったら宿の車から充電してやるよ」 ご主人が穏やかに答えた。 「このあたりはな。俺の庭だ。ガイドブックに載ってない穴場がたくさんある。幻の滝とか、第2硫黄山とか、キンムトーとかな。ただし、場所は教えるが自分の力で行けが俺の考え方なんだ」 いいこと言うねえ。行きたければ自力で、自己責任で行け。俺の旅の根幹をなすスタイルと大いにかぶる。 実は第2硫黄山やキンムトー(惨劇だったけど)は制覇済みなんだが、その幻の滝は知らなかった。 屈斜路湖カルデラを取り囲む断崖を落ちる秘瀑である。途中までオフ車なら行けるが、最後はナタで藪を切り開きながら歩く過酷なルートらしい。阿寒国立公園のなかでも、もっとも奥深いところにある幻の滝にまだ名前がない。詳しくは「我家」のおじさんから直接訊くといい。 秋田のおふた方は、猟のため明日の朝も早いそうだ。というわけで早めの就寝。 翌朝4時、やはり秋田の某氏の車のバッテリーは寒さであがり、宿の車から充電されたそうだ。俺もそれなりには早起きしたが、さすがにおふたりには挨拶できなかった。 |
朝食をいただき、ご主人やおばさん(娘さん)にすっかりお世話になった礼を言い出かけようとすると 「これを持っていけ。お守りだ」 それは手製の鹿の角のキーホルダーだった。 ぼんやり鹿の角を見ながら川湯温泉駅に向かうバスに揺られていた。車窓から見える景色はすべて雪に埋まっている。 いい宿だったとつくづく思うなり。 |