2004.12.22 〜 2005.1.3








落石港の朝陽



 根室駅前でバスを降りると、なぜかぬるい空気が流れていた。

「短い時間でしたがお世話になりました。とても楽しかったわ」
 黒のハットとコートがよく似合う色白の母親が鮮やかな笑顔で礼を言った。
『いいえ、こっちこそ。納沙布でひとりになったらどうしようと思ってたんで助かりました』
「バイバイ。またね」
 娘も手を振ってくれている。
『おう、元気でな』
「ご隠居さんもね」
『・・・・・』
 こっ、こらあ。誰がご隠居じゃい。

 母娘は釧路行の快速列車に乗り込んだ。そして、ボックスでニコニコしながらお辞儀をし列車に揺られていった。お互いに名前すら名乗らなかった。それがいかにも最果ての旅らしくていい。

 さて、俺はもう少し根室の街をふらつこう。とりあえず腹がへった。もうお昼をかなり過ぎている。駅のコインロッカーへ荷物を預け線路に沿った道を歩いた。あまり人気がない。道路脇には雪が積み上げられていて、そこから融けた水が幾筋も流れ出している。まるで春のような光景だ。
 しばらく歩くと西部劇に出てくるような洒落たレストラン発見。ここで遅い昼食にしよう。中に入るとマスターがひとりで切り盛りしていた。

 木製の机や椅子など内装も随所にこだわりを感じさせる。さらに石炭ストーブには驚いた。

 オーダーしたのは「ポークソテイ」。しばし待つとこんがりと焼けたお肉が運ばれてきた。味付けは塩コショウ、ガーリック程度だが素材の旨味を充分に引き出していた。
 食後のコーヒーを一口飲むと・・・

 これは本物だ。感動的に美味い。かなり珈琲にこだわった店だ。本当にポークソテイといい、コーヒーといい一切手抜きがない。有名で感じの悪いどっかの店でエスカロップを食べるより、根室ならまたこの店で食事をしたい。ストアロイヤルティ満点だ。「MY WING」。場所は根室駅近く。駅前で聞くとすぐに分かるはずだ。

 MY WINGを出て海の方へ向かいまた歩き出した。
裏路地に入ると路面がパキパキに凍っていて何度もコケそうになる。
 海が近づいてくると急に古い町並になってくる。昔ながらの八百屋。俺が子供の頃に見た散髪屋。そして喫茶店など。

 小さな港に着いた。3時を過ぎると急速に陽が傾いてくる。たくさんのカラスが置きっぱなしの刺し網についた雑魚の残骸をつっついていた。

 それにしても大きな夕陽だ。俺はなんともノスタルジックな気分に酔っていた。

翌朝のかじかの宿
 根室駅に戻り電車に飛び乗った。今夜の宿は落石のとほ宿「かじかの宿」だ。ずっとホテルだと逃亡者のようで、やや気分が滅入ってくる。そこでこちらへお世話になることにしたのだ。

 ちなみに福島の男が正月に北海道神宮で偽札を遣った事件が世間を騒がしている。もちろん俺にはなんの関わりがないことを付記しておく。

 小さな落石駅で電車を降りると駅前でオーナーさんとまだ小さい娘さんが迎えに来てくれていた。
 あたりはもう真っ暗だったが車のヘッドライトで足元は充分確保できる。
『今夜はお世話になります』
「中へどうぞ。厚着している人を見ると内地の人だってすぐに分かるんだよ」
 オーナーはハンドルを握りつつ呟く。
『なるほど。実は俺も道内の人の服装が意外にカジュアルなんで驚いていたんですよ』
 なんて会話をしているうちに宿到着。

 ここかあ。道道142沿い。落石港を見下ろす丘の上。マシンで何度もこのあたりを通っている。建物にも見覚えがあった。しかし、かじかの宿とは気づかなかった。

「今日はお客さんはあなただけだから、相部屋をのびのびと使ってください」
 2階の和室へ案内された。おそらくベストな部屋なんだろう。落石の海が一望に見渡せた。

 ランドリーを借りて溜まっていた洗濯物を一気にぶちこんでいるとオーナーがどこかへ出かけるようだ(奥さんが仕事に出ているらしく迎えに行ったことを後刻知る)

 窓から満月に照らされ、キラキラと光る夜の海と落石港を堪能していると、
「ご飯ですよ」
 女性の声がする。

 食堂というか談話室というか1階の洋室へ下りた。テーブルにはサンマの塩焼き、帆立、北海シマエビ、イカなどの刺身各種。さらに大盛りのざっぱ汁も登場する、まさに根室の海の幸を充分に活かした海鮮料理の数々であった。

 とほ宿に泊まるとき、いつも思うのだが低料金でこんなにご馳走出して、やっていけるのだろうか。美味しくいただいたが近年食がかなり細くなっている俺は、最後のざっぱ汁、半分ぐらい残してしまった。ご夫妻、申しわけない。

「どちらからいらしたんですか」
 奥さんは、美しく聡明な感じのする人だった。
『はあ、福島です。夏はバイクで毎年来るんですが、冬の道東は来たことがなかったので』
 オーナーが、
「今日はどこを回って来はったの」
 関西訛りというか関西系のアクセントがあった。そちらの出身なのか?
『納沙布岬へちょっと』
「納沙布には人がいなかったでしょ」
『俺と母娘づれの方のみでした』
「やっぱり。いや実はね、以前は納沙布で民宿やってたんだよ」
『そうだったんですか』
 これは意外。納沙布もシチュエーション的には落石に劣らない明媚なポイントだと思うが、やはり冬は大変そうだ。
「この時期、落石でもお客さんはほとんど来ないね。以前は冬でもポツポツ来る人がいたんだが」
 やはり夏が宿の勝負どころなんだろう。俺が知っている宿でも冬は営業せず、出稼ぎへ出てしまうオーナーが何人かいる。

 近年、俺は夏の北海道ツーリングでは取り憑かれたようにキャンプばかりやっている。つまり冬くらいしか宿に泊れる機会がないから、こちらの宿が通年営業で助かった。
「夏もお客が減ったよ。やはり富良野・美瑛が人気があるんで、みんなそっちへ行くんだ。あなたのように道東が好きだという旅人は少なくなった」
 そういえば北海道を旅するライダーも減った。また高年齢化が進んでいるような気がする。俺を含め、中年ライダーは逆に増えている。

 その後もオーナーの朴訥だが味のある旅や宿の話を聞いていると奥さんが、
「今日はクリスマスだからケーキをどうぞ」
 ナイフで切って勧めてくれた。

 小さい娘さんがケーキを見て大喜び。うっ、胸が痛む。俺にも小さなボウズがいるが、クリスマスまでほったらかしだ。それにここの宿、アットホームな穏やかな家庭に居るという感じがして、やたら息子のことを思い出した。

 すっかり話し込んでしまったが、ほどほどの時間に部屋に戻った。そしてバックからウイスキーの小瓶を取り出しチビリチビリと飲んだ。

 窓の外の風景とアルコールに酔いしれ、いつの間にか眠りについていた。

 翌朝は清々しい気分で目醒めた。窓の外は日本でもっとも早い(正確には納沙布の次ぐらいに)日の出が始まっている。慌てて着替え外に出るとかなり寒い。かじかむ手で何枚か画像を撮影。落石港がくっきりと浮かんでくる光景はなかなかのもんだ。

「おはようございます。早いんですね」
 玄関に戻ると奥さんが起きてきて どうぞと新聞を手渡してくれた。
 これぞ日本の朝食という感じの鮭、タラコ、卵、海苔、味噌汁などを美味しくいただく。

 出掛けにオーナーから写真を撮らせてもらいたいと申し出があった。じゃあ俺もということでお互いに撮り合うかたちになった(ただしオーナー親子の画像はHP掲載の話をしなかったのでボカシを入れてUPしている)

 帰りも車で落石駅まで送っていただき、深く礼を言って別れた。
 娘さんが明るい笑顔で車の中から手を振ってくれていた。
『さようなら』
 真摯に言えば日本語で一番美しい言葉だ。

 とても暖かい雰囲気の宿だった。またいつの日か訪ねてみよう。釧路行の電車の中で感慨にふけっていると、先ほどまで滞在していたかじかの宿と落石の港が窓からくっきりと見えた。

 行って来ます!



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