花火の後は、稚内市長からの年頭のご挨拶があった。市長ともなると、元旦も休日返上ですか。なんだか新年早々、大変ですなあと思いながら話を聴きました。
あっ、そうそう。日本最北端到着証明とか記念のキーホルダーを頂戴する。
元旦に頂戴できると素直に嬉しかったりした。
宗谷岬公園にて
第8話
元旦宗谷岬その2
2011 元旦 何時に寝たのか覚えてないけど、深夜1時ぐらいに一度目覚めた。年を越してしまったか。 一応、4時にアラームはセットしてあるので、もう一度寝た。短編小説のような夢をみて何度も目覚めるの繰り返しだったが、それなりの時間に起きて、シャワーを浴びていた。 「おはようございます」 5時、ドライバーさんが1時間前から温めていてくれたバスに乗りこんだ。結構、乗客の皆さんの数は多い。けど、宗谷岬に向かうバスの中は、とても静かだった。 ぼくも途中寝てしまう。 40分ほどで、宗谷岬到着。 おおっ、最北端だ。元旦にここまでこれるなんて、なんというラッキーなことなのだろう。 |
「日の出まで、まだ1時間以上あるので、バスの中でお待ちいただいても結構ですよ」 という有り難いお話もあったが、貴重な冬の宗谷岬を堪能したいと思い、ぼくは下車させてもらった。まずは、最北端の北極星モニュメントの前で記念写真を撮ろう・・・ というわけで1枚撮影。さらにタイヤにピンを打ち込んで元旦宗谷岬へバイクでやってきたという勇敢なライダー諸氏のマシンも撮影させていただく。 |
凄いと思う。ぼくなら四輪でも運転したくない冬道なんだけど、よくぞ無事到達されました。 ただ、ぼくが夏に北海道ツーリングできないという深刻な状況が、これ以上続くようなら、本気で冬の北海道ツーリングライダーに転身することも考えなければならない。 |
そういう時期が来ているかも知れない。冬の年末年始なら間違いなく休めるだろう。流石に暮れや正月は職場自体が閉鎖されるし。 でも、ツーリングなら夏に普通に来たいなんて考えつつ、ぼくはキョロキョロしていた。 もしかしたらラッシャーという何年も会ってないカブ90乗りのキタノの弟分がいないか探していたのだが、存在しなかった。 |
テントはそれなりのものを使用し、しっかりと張り綱で固定しないとポールが折れてしまう。そのぐらい過酷な強風が吹き荒れていた。現にポールが折れ潰れていたテントもあった。 元旦宗谷岬の印象は、日本最北端というより、北極点みたい? |
本格的な山用テント |
←快く画像の掲載を承諾していただいたDR650氏と暫し歓談する。寒い中、大変です。ちょっと戦場カメラマンぽくて渋い方でした。 |
強風のためかがり火は中止となったが、6時十数分頃、おびただしい冬の花火が舞い上がった。 圧巻だった。さらに例年なら無料で甘酒がふるまわれたそうだが、不景気のため仕分けされちゃったらしい。 |
花火の後は、稚内市長からの年頭のご挨拶があった。市長ともなると、元旦も休日返上ですか。なんだか新年早々、大変ですなあと思いながら話を聴きました。
あっ、そうそう。日本最北端到着証明とか記念のキーホルダーを頂戴する。 元旦に頂戴できると素直に嬉しかったりした。 |
7時近くなり、あたりがかなり明るくなってきた。いよいよご来光の時間も近づいてきたようだ。 たくさんの人たちが、宗谷岬公園(丘の上)の方へ移動し始めた。 |
しかし、ここにもテントを張っている人がいる。戦場カメラマンさんの話によるとライダーだそうな。凄過ぎる。何日ぐらい滞在しているのだろうか?
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日の出の刻限は過ぎている。天気は悪くないのだが、水平線上の雲が厚くて、なかなか日が射してこないのだ。 タイムリミット、残念ながら時間だ。宗谷岬からの初日の出は諦めざるを得ない。自然現象なので、こればかりはどうしようもない。やむなくバスへ戻り、帰路に着いた。 |
でも、全日空ホテルへ戻った頃、こんな綺麗なご来光が射してくる。心が洗われる気分だ。 合掌! 最果ての街、初めて訪れて以来24年もの歳月が経ってしまった。 けど、ぼくは稚内って、凛としていていい街だなあと改めて思った。 |
防波ドームも非常に美しく見えた。夏場には幾度となく防波ドームを撮影してきたけど、雪化粧のドームも魅力的だった。 |
朝食は、元旦らしくおせち風の御膳をご馳走になった。とても美味しくいただきました。 バスの中で、朝食のメニューを聞いて、バイキングじゃなかったのとキレていたオバサンがいて、びっくりした。たかだか朝飯程度に執着するなよ。ホテルのパンフをヨクヨメ。バイキングだなんて、どこにも書いてないし、こちらの手の込んだ料理の方がお高いことに間違いありません。 |
食後は、北門神社へ初詣。願いはひとつ。 『この夏こそは、北のサムライの北海道ツーリングが、無事正しく再開できますように』 ただそれのみです。 この2年間、北海道ツーリングに出れずにくすぶっていた現実が、どれほどぼくの人生の中の痛恨事になっていたことか。 |
でもね、今回、ぼくは、冬の稚内を存分に楽しんだ。絶望的な多忙の中でもここまでやってこれた。
なんの心おきなく最果ての街を去りぬ。 バスは、宗谷岬方面に引き返すカタチになり、やがて宗谷国道を駆け抜けていく。 早朝から気が張っていて、お疲れモードの北のサムライの意識は既に落ちていた。 その表情は、母なる大地に抱かれたように安らかに微笑んでいたに違いない。 |