『いっ、いてえ』
 右脹脛をさすっていると隊長やY隊員が駆け寄ってきた。

「どうしました」
『右足に激痛が走って・・・』
 と応えると
「足を伸ばしてマッサージしてください。まさか肉離れではないと思うんで、そのまま少し休むといいです」
 と隊長が言ってくれた。

 Y隊員が
「これを塗ってください。脹脛がつった場合は血行がよくなる」
 とバンテリンを渡された。
「山は自己責任です。もし無理なようなら、向こうの方角に安達太良スキー場のリフトがあるんでエスケープするといいです」
 自らの足にバンテリンを塗りながら、俺は本当に情けないと自責の念にかられた。

「大丈夫ですか」
 先行した隊員が続々と引き返してきた。

「頂上で昼食のつもりだったが、ここにしましょう。その方が北野さんも長く休めるし」
 隊長の一声で全員が納得し、各自弁当を広げた。
「お互い様ですよ」
 と皆さんは笑っていた。頂上で飯を食べた方が美味いに決まっている。無様な俺のために、なんていい人ばかりなんだ。親切が身に沁みる。

 隊長は雪融け水を汲んできてバーナーで湯を沸かしカップラーメン、Y隊員はなんとコッフェルでウィンナー入りインスタントラーメンを作り、メンマまで入れて食べていた。隊員諸氏は、美味そうだ。次回は絶対にラーメンを持参すると羨ましそうに言っていた。実は俺もバーナー、コッフェル持参を考えていたが荷物が半端じゃなく重くなるんで断念していた。

 そして出発。俺の足もゆっくりならなんとか行ける。岩がゴロゴロと転がる歩きにくいガレ場を少しずつ登った。本当に登りは苦しい。なんでこんなに苦しいことを俺はやっているんだ。もっと楽に生きる術などいくらでもあるじゃないか。朦朧とする意識の中でいつ終わるとも知れない頂上踏破への長い道のりを歩く。

 登りのピークを過ぎるとようやくちちくび(頂上)真下まで到達する。「やった」と喜ぶよりも無事に辿り着けたという安堵感で一杯になった。

 ここで別の隊の一部の人たちと縦走の後の車の都合で合流する。暫くちちくび下で休んだが、頂上を踏破しておこう。岩を這い上がると見えた1700メートル頂上だ。時間にして約3時間弱。
 猪苗代湖、飯豊連峰。遠くは蔵王・月山まで見える。太平洋側は阿武隈高原の山々が見渡せる最高の眺望だ。天気も絶好の登山日和だし言うことなし。

 本当に苦しい登りだったが、この瞬間にすべてが報われる感じがした。かなりヘタレな北野で隊に迷惑をかけっぱなしだったが、自分の足でここまで来たんだ。やっぱり山はいい(登頂した瞬間にプラス思考になる)
 一息入れたところで出発。まだ終わったワケではない。縦走の行程はまだ半分以上残っているのだ。
 ここで隊長は別働隊へ合流すると言い、他のルートへ向かった。しかも頂上付近を走って行動しているよ。どこまでも鉄人なんだ。別働隊はかなり前に箕輪山へ向かって出発していた。でも、あの様子では比較的早いうちに追いつかれるのではないかと皆、苦笑いしていた。 
 「沼の平」へ向け、長い砂地の下りを歩くと火口が見えてくる。ここで1997年秋に悪天候で道に迷った登山者4名が有毒火山ガスの犠牲になるという痛ましい遭難事故が起きた地点である。現在も立ち入り禁止だ。

 火口の泥熱水の噴出ポイントを見下ろしながら外輪を歩く。当然右下は崖になっていて、滑落したら終わりだなと思った。
 息をあげながらアップダウンを歩くと障子ヶ岩上部へ到達する。ここは登山道のすぐ右側が沼の平側へ切れ落ち本当に怖かった。眺望は見事で巨大な岩が障子のように連なっている。

「先頭から2番目って意外に疲れないんですよ」
 E隊員を始め、皆さんの配慮で終始遅れがちな北野は、前列に組み入れていただく。
『すみませんねえ〜』

 障子ヶ岩を過ぎると道が荒れ始め、岩の隙間に足を取られたり、泥に滑ったりと悪戦苦闘。さらに北斜面は残雪が多く残っていた。そして左に傾いた雪渓をヒヤヒヤしながら横断していく。

 90度近いんじゃないの?樹林帯の中の急勾配の下り。しかも登山道は残雪が多く滑り易くなっていた。とにかく上半身と下半身がバラバラになったような不思議な感覚を体験しながら1時間以上転げるようにして下山した。登りも苦しいが急傾斜のジグザグな下りの連続も本当に辛い。

 ようやく見晴らしのよい地点へ到達。ここは硫黄採取場だ。硫黄の匂いがプンプンと鼻をつく。ふと川を見ると湯気が立っていた。温泉の川かよ。まるでカムイワッカだな。
 木製の温泉水路が湯煙を上げながら流れていた。そこへ架かる丸木橋を渡る。ここは湯の華の採取場やこの付近の温泉宿の源泉になっているらしい。

 暫く歩くと湯船が見えた。朽ち果ててしまったが昔は温泉小屋があり、源泉を楽しめたそうだ。現在はその湯船だけがポツンと残っている。

 このあたりから木製水路が鉄管パイプへとなっていた。
 沼尻登山口へ向け、最後のひと踏ん張り。ゴールは近い。途中、白糸の滝が見えた。落差60メートル。実際に近くで見ると凄い迫力だ。このあたりは紅葉の名所でもあるらしい。

 ゴールの駐車場近くで一部道が崩落しているポイントあり。Y隊員が
「ここは下を見ず一気に崖のヘリを通過してしまうといいです」
 と言っていた。
 おっしゃる通り、崩れている部分の上部を一気に渡ろうと思い、石に足をかけたら砂に乗っていたらしく「ズサッ」、川底に滑落しそうになった(汗)

 そしていよいよゴール、縦走完遂!

 所要時間7時間といったところか。恐らく俺一人なら倍近くかかったかも知れない。お世話になった隊長始め隊員の皆様、本当に深謝いたします。

 後刻、皆さんに直接御礼を言った際
「素人なのに最後まで着いて来れたんだから上出来ですよ」
 励ましを頂戴するも俺はやはりまだまだだと思った。

 そして
「次回の本番(2泊3日の幕営しながらの縦走)、サポート運搬係でお願いします」
 ミーティングで係分担が決定した。

 つまり第一線からは外れたらしい。自分の実力からすれば当然だし、裏方の仕事だって誰かがやらねばならない大切な任務だ。一生懸命やらさせてもらいます。

 と、なんだか俺、ホッとしているみたい?



<反省点>

 今回、羅臼岳踏破以来、実に5年ぶりの本格的な登山となった。多分、5年前の羅臼岳登山のときの方が難易度も高く辛かったと思う。しかし、5年の歳月は苦しさを風化させ山に対する認識が甘くなっていたに違いない。やはり定期的に登山をして、山慣れした体をつくっておくべきだと痛感した次第である。

 また、リュックがかなり重く感じた。雨具を始め、着るものは全て軽量コンパクト、高性能にすべき。やはり山専用が一番いい。経費はかさむが命には代えられないし、長い目で見ればその方が安い。幕営する場合のキャンプ道具もまた然り。

 逆にこの登山に際し、登山靴を新調しておき本当によかったと思う。時間をかけてアウトドアショップの店長からアドバイスを頂戴しながら何足も履き替えて購入。自分の足にピッタリする靴が見つかるまで妥協しなかった。お蔭で、靴ずれや足の裏にできるマメに悩まされることは一切なかった。


 山っていいよネ!



FIN



記事 北野一機




翌朝、野地温泉からの朝陽



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