追記のマジェスティ







 今日は1日中雨模様だったので、完全休養日とし、ゴロゴロしながら、池波正太郎の歴史小説”武士の紋章”を読んでいた。

 で、ついさっき、画像を整理してたら埋もれていた懐かしいセカンドマシンの勇姿が浮かんできた。多分、出勤前に妻が撮影していたものと思われる。

 手放して非常に後悔した通勤専用マシン・マジェスティ250。このマシンで1日往復100キロにも及ぶ遠距離通勤を3年間こなしてきた。大渋滞を物ともせずスイスイと突破していくので、四輪の半分の通勤時間は痛快至極であった。燃費もリッター30キロ以上走ったので、かなりエコである。乗り心地も申し分なかった。

 ただ、あまりキャンプ旅には向かなかった気がした。荷物を固定するフックやキャリアが付いてないので過積載が不可能だった。

 そこで10万円ほど投資してGIVIの50Lのトップケースをつけたら、これは重宝する。キャンプツーリングはゼファーイレブン。通勤や街乗りはマジェと完全に使い分けていた。

 でも当時の職場からネクタイ姿のまま裏磐梯まで直行したこともあった。あの時はGIVIのケースに小さいテントを無理矢理押し込んだ気がする。ママキャンでIWAさん@札幌、K茂さん@川崎たちと合流して、痛飲した秋の晩。

 翌日も俺はネクタイ姿のまま米沢までマジェでツーリングを決行した。

 ほとんどホームグランドと化していたスカイバレーで、馬力不足で登りはヒーヒーいっていたマジェも下りは鮮やかなコーナーリングでヘアピンを攻略していった。

 途中、米沢ラーメンを食べる。K茂さんは、米沢ラーメンって、醤油・味噌・米沢と普通のラーメンとジャンルの異なるなにかと思っていたそうだ。

 上杉神社で2人と別れ、帰福する。

 K茂さんご自身のレポでは、旅の別れはかなり寂しかったようだ。3人が、まったく別の業界の仕事に就いていた。比較的、カレンダー通りの休みがとれたのは、俺だけだったのかもしれない。

 そりゃ、俺だって寂しい。みんな遠くから来ているんだから、次にいつ会えるかわかんねえもん。でも、その辛さがまた旅なり。

 だから、一期一会を大切にしないといけないと真摯に思った。共通項は、誰もが旅系ライダーだったという事実である。

 あれから、もう5年も経つか?月日が流れるのは本当に早い。

 しかし、3年後にマジェスティを下取りに出したときの値段は、たったの4万。かなり程度もよかったのに泣けてくる下取価格だ。

 マジェを思い出すと申しわけなかったという悔恨の念でいっぱいになる時がある。手放すんじゃなかった。

 いいマシンだった。 



2009年9月某日



北野一機 記



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