嵐の後のテント



 8月14日 払暁、ふらふらになりながらテントから這い出した。なんだか頭がぼうっとして、全身がだるい。完全に睡眠不足だ。外はまだ雨が残っていたが、タープを張り直し、テントについた水滴をタオルで擦った。

 こんなときこそ、しっかりと朝食とろう。ずうっとトップケースの中で眠っていた味噌煮込みうどんを取り出して、クッカーで煮て食べる。しかし、とてつもない不味さだ。その後、炊事棟で、洗顔及び歯磨きを済ませ身だしなみを整える。

「おはようございます」
 昨夜、遅くにコテージに入ったライダーさんたちも洗顔にやってきた。
『おはようございます。夕べは、よく眠れましたか』
「ええ、とっても」
『それはなにより』
 やつれた俺の顔とは対照的に彼らはとてもすっきりとしていた。やはり、こういう天候の場合は、テント泊ばかりに拘らず、屋根のある環境に移動した方が賢明に違いない。もう俺も若くないし、疲れも容易にとれない体質になってきている。

 さて、これからどうしよう。お天気は回復傾向にあるようなので、延泊して奥会津方面まで足を伸ばしてみようとも漠然と考えていた。でも僅か2晩ぐらいのテント泊で、すっかり疲れ果ててしまうロートルサムライ・キタノだ。無理は禁物ということで撤収を決意する。

 幸い雨はあがってきたが、ぐちゃぐちゃになったテントやタープを片づける作業は気が滅入る。帰宅したらパリパリに乾かさないと。そして、撤収完了。マシンへのパッキングも済ませ、自分のテントが張ってあった部分を入念にチェックし細かいゴミなどを拾うと、使用する前より綺麗になった。

「キタノさん、コーヒーでも飲んでから出かけなよ」
 おばさんにまたも熱いコーヒを入れていただく。
『すいません、ご馳走になります』
「うちのキャンプ場はさ、もう、これ以上は設備を新しくしないの。あと何年できるかわからないけど、もう、うちのお爺さんも73歳よ。いまのままで充分。それにお客さんの9割は関東方面からのリピーターばかりだから、みんななんでも知ってるしね」
 そういえば、俺もママキャンを利用してから11年になるか。俺もすっかり、おっさんになるわけだ。なんだか初めて来た頃が、つい最近のように感じてしまう。
「ライダーのお客さんも増えたよ。キタノさんの友人だ、知人だという人たちが多くて、みんな良識的なライダーさんばかりだわ」
『俺は、ごく一部の親しい野営仲間としか利用したことがないのですが、やっぱりネットの力っていうのもあるんですね』
「ただね、何十人もで来られると対応できなくなるから、お断りしてるの。やっぱり、ここはせいぜい数人向きのサイトだね。静かなのが一番だわ」
 そんな会話を暫くし、この場を辞することにした。
『ではお世話になりました』
「あんた、具合悪そうだけど大丈夫かい」
『なんも平気です。では失礼!』
 本当は寝不足と疲労感と虫刺されで、あんまり大丈夫じゃないんだけど、深くお辞儀をしてスロットルをあげた。

 さて、帰りのルートはスカイバレーから米沢へ入り、栗子峠から帰福することにしよう。車検あがりの愛機は絶好調だ。霧のスカイバレーのローリングを勢いよく駆け登っていく。近年、ローリングの腕が著しく衰えてきているのだが、スローイン・ファーストアウトの基本通り、無理せず適切な速度を遵守しながら、真っ白な頂上付近を越えていった。

 奥州三高湯のひとつ、白布温泉を過ぎる頃、一気に霧が晴れ抜けるような青空となった。そして気温が鰻上りに上昇してきた。お盆にようやく夏がやってきたという気がする。うだるような暑さの中、米沢市街を天日乾しになりながら、アクセルを握る。

 上杉神社の木陰で、小休止しようと思っていたが、天地人ブームで神社一帯は大渋滞、これはだめだ。R13へ早めに入って栗子峠に出よう。しかし、米沢の暑さも半端じゃない。途中、コンビニでペットボトル入りの凍ったジュースを買って、登山用のショルダーケースに入れ肩から吊るした。

 R13に入ると、渋滞が緩和され、身体にあたる風も爽やかに感じるようになってきた。のんびりとした田園風景が過ぎ万世大路を越えると、いよいよ栗子トンネルが近づいてくる。栗子トンネルは全長2675mで、栗子峠の真下を抜けている。

 あれ、ちょっと待て?昨夏、北海道の日勝峠のトンネルや覆道で、パニック障害になり、以来、トラウマになっていたのだが全然平気だ。昨日だって東北最長の大峠トンネルも何気に抜けているし。いつの間にか障害を克服してしまったようだ。とてもラッキー、素直に嬉しい気分になる。

 栗子トンネルを抜けると”若葉”という食堂があり、なんでもカルビラーメンが有名らしい。
 若葉の前にマシンを停め、中に入った。
「いらっしゃいませ」
 愛想のいいおばさんが、すぐに水を運んでくる。

 古い建物だ。というより大時代的な建物で、とても味わいのある造りである。なんと表現したらよいのだろう?そう、昭和だ。まさしく昭和の香りが濃厚に漂う懐かしい食堂だ。こういうお店もずいぶん数が少なくなったと思う。もちろんオーダーしたのはカルビラーメンだ。
 暫し待ち、やってきたカルビラーメンには驚愕してしまった。ベースがあっさり系の典型的な米沢ラーメンなのだが、その量は凄い。そこへカルビが、ドバっと乗っているもんだから、見ただけで、ゲップが出そうになる。味もまあまあなんだけど、大汗をかきながら、ようやくカルビと麺を平らげた。スープまでは全部飲みきれない。もう腹ぱんぱん。後からやってきた常連っぽいお客さんたちが、カルビラーメン大盛、味噌ラーメン大盛とか平然とオーダーしている姿をみて、唖然とするばかりだった。あんたらの胃腸は、どうなってんの?普通盛でも超大盛だと思うのだが?

『ご馳走さまでした』
「ありがとうございました。バイク、お気をつけて」
『はい、了解しました』
「またいらしてください」
 体調がいいときにねと言いかけたが止めた。大食いに自信がある人にお薦めです。

 腹をちゃっぷちゃっぷいわせながらスロットルをあげると、すぐ東栗子トンネル突入だ。もう、10数年前になるだろうか、亡き義父たちと、このトンネルの真上の山中へ山菜採りに来たことがあった。このあたりには、熊が多いので鈴をつけて歩きまわった記憶もある。確かうちの犬も連れてきたはずだ。まだ目も開かない仔犬(捨て犬)から育て上げた愛犬も今はもう亡い。かつて俺のまわりにいたはずの人や動物が次々とこの世を去っていった。寂しい現実だ。

 でも、だからこそ俺は果敢に旅に出るのだ。時は過ぎ去るのではない。つき進んで爪痕ぐらいは残さなければ・・・

 そんなことを考えているうちに東栗子トンネルを通過した。もう完全に福島エリアである。いつものように農免道路へ右折し、まさしく桃源郷のルートを颯爽と駆け抜けていく。農家の桃の直売店もあちこちで営業していた。福島の桃は甘くて本当に美味しい。

 やがて、R115へ合流。ゴールももう間もなく。過酷な暑さで頭の中が飽和状態になりつつ、ようやく自宅に辿り着いた。全行程・・・キロ。と書けばかっこいいのだが、不調法なキタノは、走行距離などまったく把握してませんでした。

 あしからず。

 とにかく、テント、タープ、シュラフ、エアマット、雨具・・・・乾しまくった。

 そしてシャワーを浴び、書斎で冷房をがんがん効かせて、とろけるように寝込んでしまうキタノの姿あり。



FIN



記事 北野一機



2009.8.19



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