大志
13
ダルイ・・・ とにかく寒気がする。どうやら熱があるようだ。ちっ、俺はここまで来てなんてツキのない野郎なんだろう。素泊まりの安宿のチェックアウトぎりぎりまで寝ていた。 しかし時は容赦なく過ぎてゆく。よろよろと起き出して荷物をまとめ、入り口の受付カウンターへ向かった。 昨夜、怒られたおばさんへ精算を済ませていると 「あんた、凄く顔色が悪いよ。これからどこ行くの」 『と、とりあえず道南、道南へ行こうと思っているのですが』 「そりゃ、無理よ。近くに病院があるから行っておいで。電話しとくから」 『お、俺は、その病院が苦手なんで』 「なに言ってんの。そんなこと言っている状態じゃないよ」 ほとんど無理矢理近所の開業医のところへ行かされた。 「まあ、風邪だな。保険証に横浜と書かれているが」 と先生は俺を見つめている。 『旅の途中なんです』 「そうか、じゃ注射を打っておくか。それとしばらくは安静にしなさい」 ショックだ。しばらく安静とは。 宿に戻ると玄関でおばさんが心配そうに待っていた。 「どうだった?」 『しばらく安静しろだそうです』 「とりあえず、ここのソファーで横になっていきなよ」 お言葉に甘え、ゆっくりと横になる。目を閉じると注射が効いたのかすぐに眠りに着いた。 今、何時だ。ふと時計を見ると昼過ぎだ。行かなきゃ。 「よく寝てたね。ちょっと待っててね。あんた朝も食べてなかったんしょ」 おばさんは簡単な食事を運んできた。 「無理なら残していいんだよ」 うっ、なんて優しいんだ。俺の最大の理解者、福島の祖母の顔が彷彿してきた。熱い味噌汁が美味い。 「その塩梅じゃ、旅は無理だよ。北海道は逃げないから、一旦帰った方がいいよ。これ以上悪くなったら、本当にタダじゃすまないしね」 俺のばあちゃんに言われているみたいだ。実はこの旅を心配したばあちゃんから、手造りの梅干を持たされたり、万札3枚までもらっている。 どうやらシベリアと北海道を勘違いしているフシもあったが? 高校時代、俺の柔道の試合を観戦するのが、なによりも好きだったばあちゃん。 大学時代、福島から横浜の俺のアパートへ何日も泊まりがけで訪ねてくるのが、一番楽しみだったばあちゃん。 アパートで、たまたま、はち合わせてしまった彼女とも 「あれま、なんとめんこい顔したおねえちゃんだない。うちの孫がすっかり世話になっておるようですまねえなし」 いきなり意気投合してしまったばあちゃん。 「喰わねえやつは、ここ一番つう時に力が出ねえから、いっぱい喰え」 無理矢理、俺に大飯を喰わせていたばあちゃん。 後年(大学を卒業してから10年後)、俺の名前を何度も呼びながら逝ってしまったばあちゃん。その最期の瞬間を看取れなかった俺は本当に大うつけだった。 このストーリーの中では、まだ実在する懐かしい福島のばあちゃんに会ってから横浜のアパートに戻ることにした。 また北の大地に必ず戻ってくる。どうやら俺の生涯は北の大地へ徹底的に関わりそうな気がする。そして、この時代(80年代)の北海道ツーリングの雰囲気をいつの日か活字にして世に出してみたい。 意を決して外へ出た。外は一片の雲もない晴天だ。出発しよう。 するとおばさんがCB750のタンクへなにか貼っている。神社の交通安全のワッペンだ。俺は唖然とした。こう見えても俺はスタイリストなんだ。マシンに交通安全のワッペンを貼るようなオジン臭い趣味など毛頭ない。 でもこれだけお世話になったおばさんに苦情は言えるはずもない。かなりショックだ。 『本当にありがとうございました』 「いいんだよ。いつでもまたおいで」 俺の顔は少し歪んだ笑顔になりつつ 『ここで親切にしていただいたことは生涯忘れることはありません』 「おにいさん、顔に似合わず意外と気障なんだねえ〜」 ピシッと思いっきり背中を叩かれた。かなり痛い。 複雑な心境で礼を言い馬上の人となる。お蔭で体調がかなりよくなってしまった。後年、とある旅人から絶賛されたひどくよい姿勢で原野の中、アクセルを握り続けた。 苫小牧へは、比較的早く着いた。乗船手続きを済ませロビーの売店で土産物屋の物色をしていると後ろから 「キタノさん?カズキさんですよね」 俺は訝しげに振り向いた。 『ふっ、フナバシ?』 和琴キャンプ場で一緒だった日大のフナバシだった。 『奇遇だなあ』 まさに北海道ツーリングらしい偶然の再会だった。そしてお互いのあれからの旅の軌跡を夢中で語り合った。 フェリー出航の銅鑼が鳴る。 薄暗いデッキから苫小牧の灯を見つめていた。胸が熱くなってきた。永訣ではない。俺は必ず帰って来るぞ。さよならは絶対に言わねえ。ちょっくら横浜に行ってくるぜ。 後年の旅からすれば日数はたいしたことはないかもしれない。でも多くの旅人、優しい地元の皆さんへどれほど魅了されたことか。 旅人北野一機のデビューとして多くのかけがえのないものを拾うことができた。 これからの進路については結局なんの結論も得られなかった。しかし、俺は就職活動を果敢に再開してみよう。 旅人らしく動かなければ結果は出ないということを学ぶことができた。黙って停滞していてはなにも進んでいかないし、ドラマが始まらない。 今頃になって異常体質の俺はほぼ完全に復調した。もう少し北海道に居ればよかったとフナバシへぼやいたが遅過ぎたようだ。 青年よ。大志を抱け! しかしそれは金のためや利己的な満足、 そしてうたかたのように消えてなくなる名誉とか名声のためではない。 人間が人間として世のため人のためになり得ることを達成するための - クラーク博士の言葉より - |