七ヶ宿新蕎麦ツー




七ヶ宿湖にて



2021年11月15日



七ヶ宿まで日帰りツーリングをした記録




 前日、ツーリングマップル東北版を見るていると福島県の国見町から宮城県の七ヶ宿へ抜けるルートを見つけた。県道46、羽州街道という江戸時代の参勤交代でも使われるような交通の要衝だったらしい。

 この日は朝から好天で穏やかな日和であった。R4バイパスで国見町の藤田病院付近で左折し、羽州街道に入った。





 狭い道を登っていくと道路に鳥居が架かっていた。「萬蔵稲荷神社」と記されている。険しい山道で難儀している通行人を助けた熊谷萬蔵といいう修験者をお祀りされているとか・・・

 それにしても狭くて鋭いヘアピンカーブが6つぐらい続いた。別名、七曲と言われるぐらい激しいテクニカルルートである。素晴らしい走り応えだ。

 時折垣間見る福島盆地の眺望もお見事だ。まさに穴場のルートであろう。

 途中、弘法水なる湧き水ポイントも通過するが水を飲んでる場合ではない。走りに集中しないと。とにかく湧き水は次回として、どんどんワインディングをクリアしていく。気温は12度ぐらい、風はない。この時期としては絶好のコンディションだ。
 





 やがて、宮城県側に入ると鳥居がたくさん奉納されている光景が出て来た。京都とかで見た記憶があるが、県境の山中に忽然と現れるとは、恐るべし羽州街道である。

 このあたりを過ぎるとやや街道が直線的になり、まさに日本の原風景というような農村だ。さらに前時代的なノスタルジックな建物が立ち並ぶ古くて小さな宿場街のような地帯も通過していく。

 ゼファーって、こんな純和風な景色によく馴染むマシンだとなんとなく感じた。

 やがて、新潟と相馬を結ぶという東北横断ルートR113にぶつかり、七ヶ宿湖方面へ左折する。





 トンネルを3つぐらい抜けると七ヶ宿湖が樹々の隙間から垣間見れた。かなり終盤だけれどもまだまだ綺麗な紅葉を拝んだ。今年は本当に秋の光景が美しいと思う。





 湖畔のとあるPAにて三脚を出し、デジカメで撮影しているとハレーが何台か近くに停車した。

『僕のことは、そっとしておいてください』オーラをいつものようにかなり出しまくっていたのだが、何人かが、さらに僕の方へ駆けよってきた。

「こんちわ!どっから来たんですか?」
 オジサンたちはまったく屈託がない表情で声をかけてきたので、誠意を持って応じなくてはなるまい。

『こんにちは。僕は福島市内からです』
「じゃあ、小坂峠を越えてやってきたのかい?」
『はい、実に走り応えのあるワインディングでした』
「ヨシムラサイクロンって、やはりいい音するの?」
『重厚な響きがとてもよくこだまし、僕は気に入っています』
「これからどうするの?」
『ええ、米沢方面に抜け、東北横断道で帰福しようかと考えています』
「もうそろそろシーズンオフだから、今日が走り納めになるかもね」
 といいながら、他人のマシンをしげしげとチェックしていた。

 オッサンライダーがとる、こういう微妙な習性が筆者の理解できないところであったりもする?(僕もオッサンだけど)

「俺たちはよう、いい加減歳だから、単独で走ってトラブルがあったら対処できなくなるんで、いつも仲間3人ぐらいで走ってます。あなたは いつも単独なの?そして、写真撮影がメインのツーリングですか?」

 しかし好奇心旺盛だなあ・・・意外と僕の方が、年上だったりしたケースも多いのだが?


『はい、ほとんど単独行動です。画像はブログの記事にほどほどに載せる程度なのでたいしたことはありません』

 若い頃には地元のクラブに所属したこともあるが、ぐだぐだの人間関係にすっかり嫌気が差してしまい、短期間で脱退した経緯もあった。

 さて、ジモピーのオジサンたちのお話には一理も二理もあると思う。ひとりでは対処できないトラブルでも複数で支え合えば、解決できる確率は高くなる。特に高齢となると体力的にも健康面でもいろいろな問題も出てくるのだろうなあ。

 とは思ったものの、まだまだ僕はソロツーで気楽に乗り続けていたいという気持ちも強かったりもした。まあ、その点は後日の課題としておこう。

『では、失礼します』
「お気をつけて」

 ゆっくりとゼファーのスロットルをあげた。





 その後、道の駅「七ヶ宿」にも立ち寄り、珈琲味のカリントウなるものを土産に購入する。家人に渡しただけで僕は食べてないので、コメントはできない。

吉野家(宮城県苅田郡七ヶ宿町滑津33)

 やがて羽州街道の宿場、滑津宿に差し掛かる。ここは久々に手打ちそばの「吉野家」で新蕎麦を食べよう。

 オーダーしたのは、もちろん「天ぷらそば」だ。 





 しかし人気店だけあってかなり混み合っていた。でもまあ、幸いなことにすぐにテーブル席に案内された。

 お通しは、自家製の漬物や切干大根である。シンプルな味わいであった。運転がなければ一杯やりたいところなのだが・・・

 さて、ぞんがい早く天そばが運ばれてきた。蕎麦はやや太めの田舎そばだ。つるつるで実に素朴な食感である。もちろん挽きたて茹で立ての手打ちだ。汁もカツオのダシがほどよく効いて蕎麦によく絡む。





 ここは天ぷらのボリューミーさも白眉だ。ナス、カボチャ、舞茸、椎茸、筍、あとツルムラサキ?さらにペチャッとして酸味の強い味わいの野菜はズッキーニだろうか?とにかく7種の野菜の天ぷらは圧巻だった。





 すっかり満腹となりましたぞ。ごっちゃんでした。会計を済ませ外に出ると行列が出来ていた。しかしなんともノスタルジックな建物である。 





 この店に初めて来たのは四半世紀以上も昔のことだ。オヤジ殿(妻の)、バサマ(同)、伯母(同)、当時、筆者の愛犬だったコロも連れて山菜取りに来た帰りに立ち寄った店だ。

 ずいぶん時が経ってしまい、僕以外は皆、天に召されてしまったが、遠い思い出は普遍である。





 店の横には干し柿が蔓下がっていた。ガキの頃は、こんな光景が普通に見れたのだが、なんだか久々に目にした気がする。





 逆光になってしまったが、お店の向かいは安藤家本陣である。江戸時代後期、参勤交代で使われていた大名宿だったそうだ。現在は、民家として使われているので内部は非公開である。

 そろそろ出発、しかし、宮城と山形の県境付近、なんと牧歌的な農村風景なのだろうか。午後になった陽射しも穏やかで、よいツーリング日和だ。

 やがて、ワインで有名な山形県高畠町に突入した。

※昨夜UPするつもりだったのだが、やはり寝落ちしてしまうしまう。

出張で一日中PC仕事をしていたもんで疲労が溜まっているやもしれん。

 古き良き風景の中を流れるように駆け抜けていると、ITとか、インターネットとかない時代の方が、本当はよい時代だったのではないかとふと思ったりもした。





 高畑町を走る。本当にいい天気だ。あちこちで、田んぼの野焼きの光景が目に入った。

 やがて、米沢市内へ入る。道の駅米沢で小休止した。相変わらず凄い混雑だ。ミーハーな自分は、ここで直江兼続公の旗印、「愛」のステッカーを購入し、トップケース貼って、にやにやしていたりした。

 米沢ICから、東北横断道に乗り、一気に帰福した。米沢から福島市内って、高速に乗ると、あっという間だ。





 時間的にまだ早いので、余勢をかって土湯街道から大玉村に出て、大玉村の農村広場「たまちゃん」にて、北海道あずきソフトを食べる。血糖値が高めなオヤジのくせにこのソフトに目がない筆者であったけど、実に旨し。

 ここで、冒頭の画像を撮影する。斜陽に燦然と輝く我が愛機。手前みそだが、やっぱり本当に美しい・・・

 北のサムライに過ぎたるモノあり!



FIN



記事 北野酔眩



2022.1.5UP



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