松川浦海鮮ツー




原釜港にて(防寒ライジャケ、イカツスギル?)



2021年11月23日



松川浦まで日帰りツーリングをした記録




 この日、寒波が来ていた。裏磐梯は雪になるだろう。いや、土湯峠も降雪の可能性が高い。なら、古巣の浜通り(相馬地区)へ行ってみるか・・・






 もう、冬なので、フェイスマスクはこれに限る。出掛けにこれをかぶったまま玄関を出ようとしたら、家人から不審者扱いされてしまう。

 霊山から、霊山相馬道路(東北横断道の無料区間)に入った。やっぱり寒いし、風が強い。姿勢を前に倒し、風のダメージから身を守るように走行する。相変わらずトンネルばっかしで、つまらないルートだが、無料だからしゃあんめえ。

 ときおり、雨がパラついた。気温は10℃。しかし、体感はもっと低いと感じるぐらい北風が吹きつけてくる。

 東北横断道の無料区間を降り、R6バイパスへ出た。松川浦方面へ右折しようと右側へ寄せると、直進レーンの白バイと並んだ。信号待ちだけど、白バイにもあんまり興味がない。とりあえず、VF750かな?と思った程度だ。

 信号が変わった刹那、左折車が無理にバイパスに入ってきた瞬間に白バイのサイレンが鳴り、ホイルスピンをしながら急発進する光景は、まるで違反車を追う肉食獣のようであった。

 死角で、白バイの存在に気づかなかったんだろうなあ、きっと。まあ、信号が赤になっているのに左折したのでは弁明の余地もないが、お気の毒に。





 久しぶりに松川浦に入る。浜はやっぱり気温が高めで暖かい。風もほとんど吹いていない。↑逆光だけれどもゼファーと松川浦を撮影した。なぜか2羽の白鳥が水面に浮かんでいた。

 南相馬在住の頃から、浜焼き(炭焼き)のお魚を食べに何度来たことだろうか?実は、このあたりに新居を構えようかと真剣に考えたこともあったりした。

 最初に宿泊した岩の子の民宿「晴風荘」で、食べた食事の旨さと海鮮料理のボリュームに絶句してしまった記憶もあるが、もう30年ぐらい昔のことだ。

 やっぱり、久々に来てよかった。





お食事処 たこ八(相馬市尾浜字原228ー25)

 水産会社直営の有名な店だ。海鮮メニューがとても豊富です。たいへん混雑していて、だいたい30分待ちぐらいだった。ただ、席数が多いのと、ぞんがい回転が速いせいか、思ったよりは速く席に着けた。いろいろ悩んだが、オーダーしたのは、当店一番人気の「たこ八定食」だ。





 オーダーした「たこ八定食」が運ばれてきたきたときに、こんなにたくさんの料理を食べ切れるかどうか不安になった。

 平日は、健康上の理由から、かなり食事を節制しているのもので・・・





 まずはホッキ飯、ホッキの味が充分にご飯に沁みており、実に味わい深い。身がコリコリして歯応えよし。そして、ほんのりと漂う潮の香りが食欲をそそる。





 カレイの煮つけ。卵がたっぷりだった。甘じょっぱく煮込んだ身がご飯によく絡んで本当に旨い。とても肉厚で、食べ応えのあるナメタガレイである。





 海老、白身魚(キス?)、海苔など、サクサクと香ばしい感じがしてこれまた美味い。





 続いてお刺身。寒ブリ、タコ、マグロ、ヒラメ?新鮮で、食感が素晴らしい。運転がなければ一杯やりたくなってしまうぐらいだった。しかし、流石は松川浦だ。コロナ禍の中、これだけのご馳走をいただいたのは久しぶりである。





 そして完食。超腹一杯だけれども存分に海の幸を堪能し尽くした。松川浦名物のアサリ汁も旨い。余は満足じゃ。ごっちゃんでした。

 というわけで、読み物の執筆の途中ではござるが、ふと現実に返るとこの土日も返上で出勤と相成りました。これから軽くジョギングし、シャワーを浴びてから準備に入ります。これも世のため、家族のため。

 衰え切った我がバディの疲れなどとれるわけなどない。もう、そんなに長くは生きられない気もするが、頑張んべえ!

 リーマンの現実は哀しいものよのお〜





 食後、隣の直売店にて流石に家人に悪いと思い、松川産の海苔の佃煮と手造りのイカの塩辛を土産に購入した。松川浦の海苔の佃煮は絶品です。

 画像は原釜港で撮影。お天気がよくて心地よい。釣り人も多い。内緒だけど、このあたりは、高級魚のクロダイやノドグロまで釣れてしまうことは知る人ぞ知るところなのだが多くは語るまい。

 実はね、このあたりの旅館の倅が、こんな僕によく懐いてくれていた。もう、四半世紀も昔の話だ。ヤスダ(仮名)というお調子者だったけんども明るく屈託のない若者がいた。

 思えば、最初に”たこ八”さんを訪れたのは、ヤスダの紹介だったような気がする。

 高校生ぐらいの頃、家庭の事情で実家の旅館は廃業してしまったそうだ。表には決して出さなかったが、若いのに私生活上の悩みや苦労を抱えていたのではなかろうか?

 当時、ヤスダは相馬市内の某ショッピングモールのパン屋で勤務していた。いずれは自ら飲食店を起業したい。そんな志を持っていたことから、筆者に兄事していたのかもしれない。

 たまたま妻と買い物で、そのパン屋の前を通りかかると、目聡く僕の姿を発見し、
「キタノさんの奥さんは、パン好きなんだから、これ持ってって」
 自腹なのか、売れ残りなのだかわからぬが、袋にどっさり詰めたパンを手渡されたこともあった。

 ヤスダは、平日が休みだから、時折、僕の職場(当時の)にも遊びに来てくれた。どっさりと袋に詰めたパンを土産に持参して。

 最後に遊びに来てくれた日の6日後・・・

 ヤスダは、若くして(21歳)、相馬市内の県道にて交通事故死を遂げてしまう。

 馬鹿野郎!

 まだまだこれからだったんじゃねえか・・・

 生きていれば、今頃、よきパパになっていたことだろう。

 松川浦を見ると亡き弟分の姿が彷彿として、本当はかなり辛くなることもあった。けどまた何度でもヤスダに会いに松川浦に来よう。





 おっと、長々と昔話をしてしまいました。どうも歳をとってから昔のことを話り出すとついエンドレスになってしまう。

 時間も押して来た。寒波が来ているので早めに帰福しないとえらい目に遭いそうな気がした。

 松川大橋の写真を撮って帰ろう。このあたりにも立派な魚料理のお店が建っていた記憶があるのだが、津波にやられてしまったようだ。

 そんなことを思い出しながら、松川大橋を撮影していると、あれ〜、一般車両が走行しているぞ?震災以降通行止めだとばっかり思い込んでいたのだが?





 実は、2017年4月から通行が再開していたそうな。というわけで少しだけんども立ち寄らせてもらった。震災以来、10年ぶりか。なんとも心地よし。

 このあと、往路とかぶらないように下道、R115にて帰福した。





 いつもの福島市内の某PA にて、安達太良連峰に落ちてゆく、落陽をバックに画像を撮る。

 筆者のバデイは、毎回毎回如実に衰えているが、まだまだやり残していることが山ほどある。

 そして後世に書き残すべき、「男のメロン」というやつも確実に存在しているのだ。

 ふと気づくと、休日出勤が多かったわりに10月と11月のこの2か月の休日だけで、古き良き愛機と共に軽く3千キロ以上も各地を走破していた。

 この日も北のサムライの男の背中は、夕陽に大きくあぶられていた。



FIN



記事 北野酔眩



2022.1.4UP



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