米沢経由喜多方ツーリング




土湯峠PAにて

米沢市内から大峠を越え、喜多方ラーメンを食べ裏磐梯から帰福した記録

2024.5.19




 本日はGW以来、久々に愛機ゼファーで遠乗りをしようと思っていたのだが、生憎少し寝坊。天気はまあまあかなあ。暑くなりそうだ。





 どこに行こうか?目的地を実は決めてなかった。なんとなく美味しい喜多方ラーメンが食べたい気がする。ただいつものように土湯峠から裏磐梯を抜けて喜多方入りは少しつまらない。

 米沢経由で行くか!9時過ぎにようやく拙宅を出発し、フルーツラインに入る。少し生ぬるい風が身体をかすめる。メッシュのJKTで正解だったかな。

 大笹生のICではなく、手前の間道からスカイパーク方面に向かった。いやあ〜まったく人の気配が無くなった。サロベツ原野みたい。筆者は、この雰囲気が大好きなんです。

 あっという間にR13、栗子トンネル付近に合流した。交通量のないR13をひた走り長いトンネルを突破した頃、東北横断道の無料区間に乗った。

 相変わらず交通量は少ないし、なんとなくメッシュのJKTと中に半袖Tシャツではうすら寒かった。でも気温は28℃ぐらいまで上がってきていたりする。

 GW中にも降りた米沢北ICからR121へ・・・

 R121沿いの米沢市、東邦銀行はあるし、ヨークベニマルはあるし、ここはまる福島県内ではないか?福島県米沢市?すっ、すいません!米沢の皆様・・・

 ここから一気に喜多方市へ向かうべい!

 次第に山深くなり、道の駅「田沢」でお手洗い休憩。ここの屋台で食べたタマコンニャク(百円)が何気に美味しかった。辛子が微妙に絡んで・・・

 PAで、ゼファーの画像を撮影してしていると・・・
「あの、よかったらシャッターを切りますよ」
 感じのよいご婦人から声をかけていただく。

『ありがとうございます。でも大丈夫ですから』
 と、初老のエロオヤジがほざいていました。





 道の駅”田沢”を出る。やがて福島と山形の県境付近に入った。気温は米沢の平地より5℃ぐらい低くなっている。民家もまったくない。ただただ山、山、山・・・

 本当に信じられないぐらい山深いのだが、今から30年以上前か?多分、筆者が20代の終わりころ、義父(妻の父)とその友人とこのあたりの山に入った。

 オヤジは、ただの登山を認めていない。山菜、キノコ、渓流魚・・・

 つまり、なんらかの獲物・収穫を常に求めている猟師であった。

 実はね、あんまり書きたくなかったのだが、当時このあたりでは貴重な「モチタラ」が採れた。掌サイズの柔らかい巨大タラノメのことだ。ガンガン採れた。近くに渓流が流れていた。オヤジはこういう人だ。ザックには常に渓流竿が入っている。糸を垂らすと瞬く間にイワナを2尾釣り上げた。

 この日は、妻の実家で蕎麦を打ち、モチタラの天ぷら蕎麦をたらふく食べました。

 酒は大峠で釣り上げたイワナの炭焼きで、骨酒にした。黄色くて実にコクのある美味しいお酒でした。

 閑話休題ついでに・・・

 南相馬時代の職場の後輩の祖父が、戦争中に召集令状を逃れ、この大峠に潜伏して終戦まで逃げ切ったそうな。

 戒厳令下の日本で、山中でサバイバル術を駆使しながら生き延びるとは、まるで小野田少尉みたい。

 つまり、それだけ大峠は山深いのです。

 喜多方ラーメンの画像とか貼っちゃいましたが、届きませんでした・・・

 次回、ゆっくりお話しいたします。

 ちなみにアウトドアの師匠と尊敬していたオヤジは今世紀の初め頃、59歳という若さで宿痾の病にて他界する。実に穏やかな最期でした。





 R121で山深い峠を越えると、ようやく集落らしい光景が見えてきた。旧熱塩加納村(現在は喜多方市と合併)あたりまで到達した。

 道の駅「蔵の湯」あたりで、昼食をとろうと考えていたのだが、手前に”ほまれ食堂”の看板が見えた。音に聞こえし、喜多方ラーメン屈指の名店ではないか!

 R121から間道にそれると、何気ない田舎の住宅地の一角に喜多方屈指のラーメン店が現れた。

 もちろん行列だ。ウエイティング用紙に名前を書いて40分ぐらい待って、ようやく入店する。広くて清潔な店内のカウンター席でした。オーダーしたのは普通の”しょうゆラーメン”です。基本的に初めて入るラーメン屋さんでは”しょうゆ”にするというという不文律が僕にはある。でも、どうやら看板メニューは”たんたんめん”らしい。次回はオーダーしてみよう。

 地元の常連さんも多く、普通にチャーハンと餃子とかをオーダーされている。つうか、どれも旨そうでした。地元の方々からも愛されている食堂なのだと痛感した次第です。

 ブタガラと微妙に魚介の入ったスープは美味い。麺は、中太縮れの喜多方麺を使用。これでいいんです。こういうシンプルなラーメンが好きです。筆者は、今も震災前まで存在した南相馬の「山川食堂」派です。ラーメン山川派、もうそんなに長くはないと思うが、生涯普遍の味である。

 人間も飾らない素のままの自分でありたいと妙に思うこの頃です。

 素の自分=ただのエロオヤジ?

 ほぼ完食して外に出ると、やはり行列が出来ていた。天気はいいけど、湿度が低く爽やかな陽気だ。R121に戻り、お互いに老体と化した僕とゼファーが大塩裏磐梯温泉街をとぼとぼと突き抜けていく。





 喜多方市内から、裏磐梯に駆け上るルートを走っている。新潟から福島の浪江まで抜ける長大なルートである。

 天気は曇天。少し肌寒い。やはりこの日のクシタニメッシュJKTはかなり失敗でした。

 途中、日帰り温泉施設のラビスパ裏磐梯の建物が無くなっていた気がした。昔、よくキャンプの時に利用させてもらった。やめてしまったのならとても寂しい。





 その付近の道の駅”裏磐梯”にて撮影したゼファーイレブンです。32年間乗り続けた愛機がこの美しさですよ。

 先日のマスツーリングで、「オートバイって32年も乗れるものなんですねえ」と驚嘆の声をあげておられる方がいた。

 いつもは、こちらの道の駅で好物の”ソバソフト”なるアイスを食べるのですが、この日は”キウイソフト”を食べました。だって、とても美味しそうだったのだもの!

 それにしても33年目のゼファー、最早永久に輝いているぜよ・・・

 道の駅から、レークラインを抜け、土湯街道に入る。

 土湯峠手前のPAで定点撮影を済ました・・・





 と語る北のサムライの額も劣化してきて輝いていた・・・

 ライダー歴43年、CBXに乗っていたあの輝くばかりの昭和の若武者も本当に老兵になったものよのう・・・

 ドンマイ!



総走行距離 250キロ


2024.6.11UP


FIN



記事 北野酔眩



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