母成グリーンライン







土湯トンネル近くのPAにて・・・



2023年5月27日



土湯峠〜母成グリーンライン〜大玉村を経て、帰福した記録




 長い1週間が過ぎた本日土曜日は、寝過ごしてしまいました。疲れが溜まっているが、前年度ほどボラ休日出勤がなくなったので幾分マシである。

 とういうわけで、正午過ぎに拙宅を出撃し、土湯峠に入った。かなり暑かったのだが、このあたりにくると気温が劇的に低下してきてメッシュのライジャケでは少し肌寒かった。

 道の駅つちゆで小休止。土曜のわりには、比較的混雑してない。いつもこのぐらいだと助かる。小用の後、すぐに出発した。





 土湯トンネルを通過して、いつものPAにて冒頭の画像を撮影した。ちょっと雲が多かったかな。磐梯山が霞んで見えた。

 さらに突き進み、猪苗代の農産品直売店エリアに入る。時刻はもう15時過ぎだ。流石に腹が減ったので、またまたいつもの”まんさく農園”へ立ち寄る。

 農作物やキノコなどのお土産コーナーよりも食堂エリアが広がっていた。

 それにしてもこの雰囲気、実にいい味がある。もう遅いけど、拙宅もログハウスにしたかった。





 時間が時間のため、食事メニューはほぼ売り切れだけど、かろうじてけんちん汁だけはギリギリセーフでした。

 暫し待つと、通しナンバーでカウンターに呼ばれ、トレーでけんちん汁を受けとった。

 アミタケ、ヒラタケ、ゴボウ、大根、人参、ヤマクラゲ等、山の幸がたっぷりのお味噌汁を完食した。地元の素材を活かした大変美味しい一杯である。





 一合のご飯を使ったみそ焼きおにぎりもまだ残っていたのだが、これは無理ぜよ。この店に出入りして、四半世紀経つけど、初期はけんちんとおにぎりを余裕で完食していたが、もう僕もついにアラカンだ。流石に食は細い。けんちん汁だけで超腹一杯になった。ご馳走さま!

 しかし、約十年ぐらい前から、「永久ライダーも還暦過ぎなんだからいい加減バイクを降りれば」という匿名投稿していた奴がいたそうな。ギリだけど、まだアラカンなのに失礼な。

 今でいう、フェイクというやつかい?いくらネットでもテキトーなことを投稿しないでもらいたい。僕は、あなたに全然関係ないし。

 まんさく食堂前のPAにて一枚・・・パシッ!





 時間が押して来た。猪苗代から久々に沼尻に入り、母成グリーラインで、磐梯熱海温泉〜本宮市〜大玉村へのルートをとろう。

 しかしPAの路面は、マックスターンの跡?こんなことをしてもタイヤの山の無駄遣いだと思うのだが?





 新緑の母成グリーンラインは、基本的に交通量が少ないので、かなり走りやすかった。

 実はね、ここ母成峠は、戊辰戦争の激戦地だった。会津軍+旧幕軍800、新政府軍7000が激突した。しかし、この兵力差の劣勢はいかんともし難い。会津の主力は越後口に行っている。天性の軍人、いや軍神・新選組副長土方歳三が指揮しても敗退。

 ここから、一気呵成に西軍が若松市内へなだれ込んで、辛酸極まる市街戦・籠城戦へと展開していき、白虎隊士中二番隊(飯盛山)の悲劇にも繋がっていく。

 この際の薩長を主力とする西軍の一般庶民や婦女子への蛮行が、卑劣過ぎて後世へと連綿と語り継がれ、大きな禍根を残す結果となる。あまりにも節操がない。あたかもウクライナでのロシア兵の如し。いや、もっと酷い戦争犯罪である。普通に考えて、そりゃそうなるだろうなあ〜





 磐梯熱海から、県道を走り本宮市〜大玉村に入る。いやはや、なんとも牧歌的な光景ではないか?思わず画像を撮影した。

 シラサギが舞っていた。僕は、こういう光景にまったりとしてしまった。





 さらに1枚撮影した。

 このあたりは、大玉村という東北の住みやすい村の必ず上位に入る地域だ。

 当時の村長には、前任の職場の仕事の都合上本当にお世話になった経緯、いや思い出がいっぱいあった。気さくな人柄だけどご立派な人格者でした。

 何度もご一緒に痛飲させてもらった記憶がある。もう、ずいぶん昔の話だが、人の上に立つ人物ならかくの如くあるべし。





 大玉村から、R4バイパスに入れば拙宅はもうすぐだ。

 夕刻、17時半に帰福するが・・・・・

 相変わらず、家人は不機嫌だ!

 ちなみに家人の家系は、二本松藩弓道師範の血筋だそうな!

 なるほど気が強いはずだ。



FIN



記事 北野酔眩



2023.6.9UP



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