磐城街道紅葉ツー







 この日は、やや雲が多いが、まあ晴れになった。

 ツーリングに出かけるか。なにげに土湯峠付近を目視するとガスに覆われていた。

 それなら、先日、小野町からいわき市まで駆け抜けた磐城街道がいい。今なら紅葉が絶対に綺麗だろう。





 自宅~旧飯野町~旧東和町を経て、阿武隈高原の交通の要衝R349に出た。

 気温は20℃前後で、暑くもなく寒くもない。機上。身体に当たる風が、なんとなく爽やかで心地よし。

 R349沿いの旧東和町には、なぜか至近距離に道の駅が2カ所も存在する。今回は、両方とも立ち寄らずに旧船引町から、県道19方面に左折した。先日も通ったルートだ。磐越東線と並行する道を黙々と走り続け、小野町に入る。

 そして波乱にとんだ磐城街道へと・・・

 画像は、小野町といわき市の境界あたり。人気がない、というよりすれ違う対向車もほとんどない。でも磐越東線の鉄橋と紅葉のロケーションがなまら美しい。





 自宅~旧飯野町~旧東和町を経て、阿武隈高原の交通の要衝R349に出た。

 気温は20℃前後で、暑くもなく寒くもない。機上。身体に当たる風が、なんとなく爽やかで心地よし。

 R349沿いの旧東和町には、なぜか至近距離に道の駅が2カ所も存在する。今回は、両方とも立ち寄らずに旧船引町から、県道19方面に左折した。先日も通ったルートだ。磐越東線と並行する道を黙々と走り続け、小野町に入る。

 そして波乱にとんだ磐城街道へと・・・

 画像は、小野町といわき市の境界あたり。人気がない、というよりすれ違う対向車もほとんどない。でも磐越東線の鉄橋と紅葉のロケーションがなまら美しい。





 磐越東線の線路をいく度も跨ぎながら、上小川地区に入ると大きめのPAがあったので、休憩をとった。紅葉シーズンだけに交通量も若干増えてきた。

 近年の僕は、ツーリングが始まると、いわゆる無の境地に陥り、何時間でもボウっと操縦していることが多々ある。

 これはよくないと思い、意識して休むようにした。以前にもどっかで書いたと思うが、煙草を吸っていた頃は、一服タイムという大義名分で休憩してたけど、吸わなくなったら、休憩の数が激減してしまったのだ。一気走りというやつ?





 やっぱり、ゼファーと紅葉って、よくマッチすると思う。和のマシンなんだよなあ。

 前方から、左斜めのスタイルがとても美しい。まあ、自画自賛だけども。





 弐黒堂の防寒ライジャケ「龍鳳」、この日にこのJKTでは少し蒸し暑いぐらいだったけど、真冬に大いに効力を発する逸品だろう。かなりいかついけど。





 背戸峨廊

 ここから左側に登っていくと、渓流沿いの素晴らしい登山道がある。迫力の滝や美しい岩場などが数多くあり、本当にお勧めの散策路である。

 ちなみに「背戸峨廊」と名づけたのは、この付近の出身者で高名な詩人草野心平なのだ。僕の母校の校歌を作詞をされた方でもある。

 最後に歩いたのは34年前か?ずいぶん昔の話だ。ここでBBQや芋煮会をした楽しい記憶もあった。全部昭和の出来事だけれども。




 夏井川渓谷を抜け、いわき市中心部に近づいてきた。ここまで来たら、いわき湯本のパノラマラインを超久しぶりに走ってみるか。もちろん、飛ばすつもりなどない。磐城七浜の眺望を存分に楽しみつつ、悠々とコーナーをバンクしてみたいだけだ。

 ナビ通り旧R6を走ると湯本エリアに入った。あのスパリゾートハワイアンへ向かう道だ。

 しかし、腹が減った。このあたりで昼食をとりたい。ナビで検索すると、昔、入ったことのある某ラーメン店がヒットした。

 代替わりしていると思うが、まだ営業していたんだ。嬉しいねえ、場所は移転していたけれども家族連れのお客で混雑していた。やっぱり40年ぶりぐらいかいな?

 オーダーしたのは餃子セットだ。醤油ラーメン500円。餃子200円。なんという低料金なのだろう。ラーメンのお味は、あっさりし過ぎで、いまひとつパンチが効いてない。僕は血圧が高めで投薬しているくせに、濃い口好きなのだ。

 それでも熱いスープが心身を存分に温めてくれた。





 200円の餃子は、ニラの香がよく効いていた。皮の表面は、パリパリでなかな歯応えがあり旨い。ごっちゃんでした。女将に礼を言い、ゼファーのセルを回した。時刻は既に14時を回っている。

 ここから福島市内に戻るには、かなり時間が押している。この時期は16時を過ぎると周囲は、一気に暗くなる。今回はパノラマラインは潔く諦めやう。

 帰路も下道で帰福するルートを考えた。山中の裏道を駆使しつつ、R49へ出よう。どうもナビ通りに走ると無用に遠まわりしてしまうらしい。

 なんて考えながら、いわき市好間あたりを走っているといきなりオバタリアンの運転するバンが、脇道から強引な右折をかけてきた。一瞬、終わったなと覚悟したがフルブレーキングでなんとかぎりぎり最悪の事態を回避する。タイヤは、前後ともロックしていた。

 オバタリアンは、軽くお辞儀をし、そのまま行ってしまった。馬鹿野郎、もう少しで、Yahooニュースの記事に出てしまうはめになりそうなアクシデントだったではないかい。

 
しかし、オバタリアンって、昭和の死語の世界だなあと我ながら思い苦笑いする。





 その後、R49~R349を薄暗い阿武隈山中を順調に走行し、旧東和町から福島市内のR4に入って無事帰福した。

 ようやく自宅に到着した頃には、どっぷりと陽が落ち、周囲が真っ暗になっていた。下道ばかりの本日の走行距離は約260キロ。一日千キロライダーだった若き日の僕からすれば、ぜんぜんたいしたことのない距離だ。

 でも寄る年波からか身体のあちこちが痛いし、なんとなく、いやかなりダルイのう。

 でもまあ・・・

 終わりよければすべてよし・・・


FIN



記事 北野酔眩



2022.11.3UP




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