思えば10代の半ば頃、私はふとオートバイに乗りたくなりました。特に深い理由などございません。誰もが一度は思うこと、ただ乗ってみたかったのです。

 もちろん自分でも若者が憧れる一過性のものかと感じておりましたが、乗れば乗るほどその深い魅力にハマっていき、仲間たちが四輪に乗り換える頃になってもマシンを手放そうとは決して思いませんでした。

 最初のバイクは格安の中古で手に入れたGS400E。こいつは抜群の低速トルクを持つじゃじゃ馬でクラッチレバーを放すとすぐホイルスピンしてしまうおもしろいマシンでした。遠くまで行ったのはせいぜい県内止まりで本格的なツーリングをするに至らず、CBX400Fの購入に伴い2年余りで手放してしまいました。

 CBX、この有名過ぎるバイクに乗り始めた頃、時代は空前の二輪レースブームとなりました。キング・ケニーやフレディ・スペンサーが一世を風靡していました。

 さらに不死身の男バリー・シーン、エディー・ローソン。日本人勢では片山、平など英雄レーサーきら星の如く。

 二輪愛好者には熱狂の時代でした。
 また某バイク誌に掲載される峠でのライディング写真のコーナーが大いにもてはやされました。いわゆるローリング・ブームに数多くのライダー達がハマって行き、プチレーサーたちが若く尊い命を落とした例は枚挙にいとまがありませんでした。

 当時の自分も、ローリングの魅力へ取り憑かれていきました。浪人中にもかかわらず暇があればローリングを求め峠道へ。さらに興じてスポーツランド菅生にてノービス・ライセンスまで取得しました。

 仲間も大勢できました。速く走るというより、カスタム化した愛機を仲間に見せびらかすなど自己満足も多分にあったと思います。マシンの改造にも多くの時間と金を浪費していきました。まあ若気の至りというやつです。

 楽しいがなんら生産性のないバブリーな日々。こういう生活は必ずいつかは崩壊する時がやってまいります。

 ある日、峠を走行中、オートバイ同士での正面衝突という大事故に巻き込まれてしまいました。コーナーで対向のビギナーの操縦するマシンがセンターラインを突破、CBXに直撃されました。

 私の体は裏磐梯の宙に舞い、前方へ数メートルもふっとばされました。激しく路面に叩きつけられる瞬間、とっさに受け身をとり虎口を脱し、奇跡的にたいした傷を負わなくて済みました。でも対向車に遭ったら一巻の終わりだったと今も背筋が凍る思いがします。本当にたまたま、たまたまの生還です。

 アスファルトに擦られた革ジャンが、四半世紀の時空を越え、痛々しい傷を残しながらも現役で私の手元に残っております。CBXは、キャブが割れ、そしてオイルが血のように流れ出していた記憶が鮮明に蘇ってきます。結局、大切な愛機は廃車の運命を辿りました。

 それより意識も無くバイクの下敷きなって倒れている男の姿に驚愕しました。バイクから引き出すと、右足が逆を向いていました。ヘルメットをはずすと血を吐いているし。すぐに通りがかりの車に救急車を呼んでもらいましたが、過失云々の問題ではなく、この男が死んだらどうしようという思いで膝がガクガク震えてしまいました。

 しばらくすると峠の顔見知りの常連や通りがかりのライダー達が次々と現れ、テキパキと交通誘導や片づけをしてくれました。私はただただ呆然と眺めているしかできませんでした。道路いぱっいに散乱する2台のオートバイとオイルや部品類の数々、まさに修羅場です。

 肋骨3本、右足2カ所を骨折する瀕死の重傷ながらも、幸い彼は一命を取りとめました。そして数ヶ月の入院を余儀なくされ、仕事はクビになったそうです。結局、過失責任のほとんどは、イエローラインをオーバーして突っ込んできた男にあるという裁定が保険屋から下され対物保証が満額おりました。もちろん私の自賠責保険は武士の情けで、入院費用に使ってもらいました。

 地獄を見ました。そして、この事故がきっかけとなり私のバイク観が根底から覆りました。スリルやスピードなどよりものんびり旅するスタイル、ツーリングを楽しむようになりました。つまり、どっぷりと旅人を追求する姿勢に方向転換いたしました。

 天下の素浪人生活も終えた私は、大学進学のため横浜へ出ました。そして、さっそくツーリングクラブに入会しました。それがチーム”横浜CRAZY HORSE”であり、このクラブ主催のミーティングや関東各地・伊豆方面を始めとするツーリングにも積極的に参加し、ツーリングのエッセンスを身に着けました。尚、このクラブは現在、レース活動に重点を置いております。

 ここでひとつチャレンジしたいことがありました。当時、「鬼もはだしで逃げ出す」と恐れられた難関、試験場一発試験の限定解除です(教習所に大型二輪がなかった)

 1986年、私はついに一念発起して試験場にて限定解除試験に2回目にして合格、大型免許を取得しました。そして憧れていたマシンCB750Fを手に入れます。大型バイクなど旧免のオジサンしか乗っていない時代だったからだと思ます。大学生協でバイトしている可愛らしいおねえさんから、「バイク、ナナハンですよね!後ろに乗せてください」ともいわれました。でも当時の私は『俺は、後ろに女は乗せねえんだ』ときっぱりと断る真の男でありました?事実、最愛の妻でさえタンデムしたことはございません。だが、あの時のバイトの彼女、私に惚れてたかも知れませんな。結構タイプだったし、今にして思うとかなりもったいないことをしたと後悔していたりもします。

 そんな過去は悲しくなるからもう書くのは止めておきましょう。

 この頃からCB750での北海道ツーリングを思案するようになりました。そしてついに熱き想いがかない1987年9月、10日間の北海道の旅に出ました。

永久ライダー宣言の地(サロベツ)
 私にとっての初北海道ツーリングは衝撃の連続でした。現在の日本が失ったものの原型。私が子供の頃にあった懐かしい人情が過分に存在していました。親切な地元の人々や旅人たちとの交流に魅了されまくりました。

 私は生涯北の大地への旅に関わっていく生き方になると確信する大切な「なにか」を拾いました。
 今の私のロングツーリングは基本的に一匹狼(ひとり旅)的なスタイルがほとんどです。特にポリシーにしているわけではありませんし、協調性がひどく欠落しているわけでもございません。むしろバイク仲間とハメを外して酒を飲むのが大好きです。

 ただ北への長い旅(北海道ツーリング)だけは別物のようです。北の大地では制約がある団体行動(走行)ができない野郎に成長?してしまったようです。つまりまったりと自分のペースで風景を楽しむ瞬間が好きなのです。でも夜はやっぱりキャンプ場の宴会がいいですねえ(なんか矛盾してるなあ?)

 ちなみに私がキャンプツーリングを本格的に始めるようになったのは、30代の半ばぐらいのことでした(怪我で武道を断念した頃)

 基本的に不器用なもので何年経ってもテントの撤収が遅いし、手の込んだアウトドア料理も苦手です。唯一、ご飯のクッカー炊きぐらいが特技です。したがって、私は野営の達人ではございません。経験値だけ高いキャンプの凡人でしょう。

 ただ、EOC常連の方々の中にはプロ級の野営テクニックをお持ちの実力者が実在することは真実です。EOCに参戦して、アウトドア技術が格段に向上されたという方々も結構おられる。主宰者がたいしたことないわりにEOCの野営レベルが異様に高い秘密はそこにあります。

 1999年には、私のような妻子持ちの中年ライダーにとって暴挙ともいえる「北海道2周、19日間のツーリング」をゼファー1100にて敢行いたしました。この旅で、オロロンラインのあまりの絶景に臨界点へ達した私は生涯ライダーでいようと決意いたしました。そして「永久ライダー」というネーミングを思いつき、後日これをHPタイトルへも反映させました。そう、このサイトのコンセプトは永久ライダーなのです。

 近年はオートバイでただ走ることのみに飽き足らず、トレッキングや山行にもハマり、羅臼岳、知床岬、利尻山と次々と踏破しております。しかし、次第に野人化かも同時進行しているのもちと気になっていたりします。

 永久ライダーの熱く激しい道のりは生涯にわたって続いていきます。世の中、どんどんせちがらくなっていますし、いろいろと苦労がございます。でも愚痴を言って終わるのも一生。男のロマンを追って年に一度ロングな旅へ果敢に突入するのも一生です。



永久ライダーを自負する自分は躊躇わず後者を選択しました。



 このサイトでは私が一番関わりの深い北の大地の旅をメインコンテンツとしております。

 なぜなら北の大地は、日本で唯一、ライダーや旅人を差別しない土地柄だからです。それどころか感動的なまで温かく迎え入れてくれる母なる大地なのです。特に道東道北の景色の素晴らしさは筆舌にし難いものがあります。山海の幸の美味しさも秀逸です。

沙流川キャンプ場
 なんと言っても打算のない善良な人々に関わり続けていると北の旅独特な感覚(気持ちがとても素直になり人へ優しくなれる)が湧いてしまいます。この雰囲気を味わいたいがために私は夏になると渡り鳥のように北の大地へと帰ります。

 私の旅の軌跡は、コンテンツの方をご覧ください。ただし、自分が長年書いて書いて書きまくった膨大なテキスト量なもので、サイトを読破するのも時を越えた試練の旅路となるでしょう。

 また、私が描いた旅の記録にハマった人の(ハマらない方も多いと思いますが)体験だと自分の中に眠っている旅情や浪漫を覚醒させる不思議な魔力があるそうです。もしかしたら、あなたの心の中の奥底で停まっていたなにかが再び動き出す劇的な旅効果が出るかも知れません。特に所帯持ちの旦那や出世思考のリーマンは、キタノの旅の世界へ深く立ち入らない方がいいでしょう。前述の病がうつる危険性が高いと思われます。

 困ったことにその病の治療法はただのひとつだけです。それは北の大地を自分の足で旅すること。病名は『北海道病』。最早手のほどこしようもないほど重度の北海道病の私に、妻は激怒、もとい、諦めモードです。だが読者の皆さまが私の影響を受けて旅にハマり家庭が崩壊してしまっても当サイトでは一切関知いたしません。

 最後にそれなりの旅系読み物サイトを自負してきた当サイトですが、昨今は私自身の足で稼いだ北海道情報もなんとか充実してきました。ご覧の皆さまの北の旅の参考になれば嬉しい限りです。

 私は、今後も「いつどこへ行って何を食べて、どこへ泊まった」みたいな薄っぺらで棒読み的なツーレポを描くつもりはまったくございません。

 なぜなら当サイトは、旅行系のガイドブックではなく、無様で苦しくても飽くまで自らの体を張った体験を書き綴っている読み物にこだわっているからです。

 私自身が北の旅をどう感じたか、何を伝えたいのかを表現し、読者の皆さまへ発信していくつもりです。つまり自分の主観だらけのサイトということなってしまいそうですが、百篇の理屈よりも一回の実行に主眼を置いているつもりです。

 百戦錬磨!

 では長々と読んでいただいた皆さま、これであなたの北の旅への扉は完全に開かれました。永久ライダーの旅の世界へ足を踏み入れるかどうかはあなた自身がご判断すべきことと存じます。

 いい旅を!







北のサムライ







テクニックもない。派手さもない。不器用で格好悪くてもいい。

おそらく俺は現代のドン・キホーテなんだろう。

けど俺は精一杯描く一本筋の通った旅系読み物サイトにこだわり続けたい。

旅は男を磨くものだ。



SINCE 1999.10.1



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