2006.8.11




利尻山山頂にて



 閑散とした宗谷国道を北上する。どんよりとした雲は低くたれこめ、少し肌寒いぐらいだった。

 でもまあ、本来の北海道ツーリングって、こんなもんだ。今までが暑過ぎだったのだ。

 左手には点在する牧場。右手は霧がかったオホーツク海。心地よく空気が冷えている。

 やがて宗谷岬に入った。 
 岬には、ライダー、チャリダー、観光客と意外に多くの人々の喧騒があった。

 まあ、せっかくだから俺も三脚を出して記念に1枚・・・いや2枚ほど撮影する。後はすることもないので、すぐに出撃。

 実は宗谷岬から稚内の市街地までって距離がある。閑散とした漁村の風景を楽しみながら走破した。

 やがて稚内市中心部へ。

 とりあえず稚内駅前にマシンを停めて、立ち喰い蕎麦をすすった。俺は駅蕎麦が非常に好きだ。ほとんど毎年のように稚内駅で蕎麦を食べる習慣があったりした。

 マシンに戻ると、
「このあたりで、大きなバイク屋知りませんか?」
 ガタイのいいハレー乗りの外国人ライダーから、声をかけられる。どうやらマシンの調子が悪いらしい。
『悪いが俺も旅行者なんで、そこまで詳しくは知らないんだ』
 交番で訊くといいとアドバイスし、フェリーターミナルに向けてアクセルをあげた。

 フェリーターミナルで、さっそく利尻行のチケットを購入。片道7千円近くもする投資だ。

 空は墨を落としたように黒い。これで、2002年みたいに悪天候になったら、どうしよう。かなり不安な気分でフェリー内部へ移動させた。
 フェリーは白い波の軌跡を残しながら、稚内港を離れていく。

 いよいよ賽は投げられた。

 もう、好むと好まざるとに関わらず、俺は百名山筆頭「利尻山」踏破をやり遂げるしかない。

 何年も俺の中にくすぶっていたモノがメラメラと燃え上がり、客室に戻ってもなかなか仮眠がとれない。
 約2時間ほどで、3度目の利尻島鴛泊港上陸を果たした。

 まずは腹ごしらえだ。腹が減っては戦ができん。いつもの漁協直営の食堂で「ホッケ定食」を堪能する。炭焼きのホッケは脂が乗っており、低料金で本当に美味しい。

 家族には優しいけど食堂の従業員へは、やたらと横柄な肥った観光客のおっさんが、昔の職場の上司に似ていてとても不快だった。
 でも、まあ満腹になって外へ出る。

 そして利尻山登山鴛泊ルートのベース「利尻北麓野営場」へ向かう。

 管理人夫妻(ご主人はアゴ勇似)は、俺のことなどすっかり忘却していた。
「なにせ利用者が多いからなあ」
 とのこと。

 昨年から有料になり、利用料が300円ほどかかるので、二日分の料金を支払った。
『明日、山に入ります』
 というと、
「じゃあ、、今日のうちに入山届け出してね」
 と言われたので、細かい内容(携帯、家電、住所、妻の氏名など)を記入する項目のある用紙を手渡された。全行程8時間ぐらいかな?(甘い考えであった)

 入山が6時、ええと下山は余裕を持って15時とした。なんだか緊張感が高まってくるなあ。

 そして、素早くテントを設営する。やはり虫が多い。

 いつの間にか3軒もできたセイコマの一店舗で、夕食やアルコール、登山の携行食などを購入する。帰りには「利尻富士温泉」で、ひとっ風呂浴びた。

 テントの前で酒を飲んでいると関西ナンバーのZZR乗りの女性ライダーが俺のマシンの手前に停車した。

 そして・・・

「こんばんは。昨夜は下の駐車場にバイクを停めたんですが、前輪が釘でパンクしてました。どうやらイタズラされたようです。今夜は上にバイクを移動しましたよ」
『お晩です。ま、マジっすか?それは大変でしたね』
 というと彼女は、やや下のテントの方へ移動した。そして近くのテントの取り巻きの男がすばやく現れ、お出迎え。なるほどね。

 その後も一人じっくりと酒を飲む。頭の中は、明日の山行の計算でいっぱいの状態だ。

 これより先は利尻山踏破のみに集中しよう。他のことで心身共にエネルギーを使いたくない。

 20時頃、俺はテントに入り無理矢理眠った。

 翌朝、4時起床。

 どうやら未明に雨が降ったらしくテントはもちろん周囲も濡れていた。

 お湯を沸かし、コーヒーとパンの朝食をとった。

 そしてトイレで用を足し、炊事棟で洗顔・・・

 そんなことをしているうちに5時近くなり、あたりがかなり明るくなってきた。
「急がねば」
 登山靴の紐を締め、慌ててザックを背負い登山道へ入る。すると既に歩いている人がかなりいた。

 甘露泉水で給水。スポーツドリンクのペットボトルと併せて4リットルの水分だ。よく最低限2リットルといわれるが、俺は念のため倍の容量を持った。4合目までの行程で、1.5リットルの水分を軽く消費してしまうことになるので正解だった。
4合目  キャンプ場から500M登ったあたりの甘露泉水付近が3合目で、そこから30分ぐらいで4合目だ。

 このあたりを越えるとやや勾配がきつくなるが、暗い森を抜け明るい眺望が広がってくる。

 ここは休まず、せっせと5合目まで歩いた。なんだかまだ目が覚めてない。俺は本当に利尻山を攻めているのだろうか?地に足がついていない気がした。
 5合目到着。周囲には広いスペースがあり、多くの登山者がザックを下ろしてくつろいでいた。俺も1回目の休憩とした。

 5合目といっても半分ではない。まだまだ登山は始まったばかりである。頂上までどのぐらい時間がかかるのか想像もつかない。

 皆さんが次々と登り始めた。俺はオオトリで、だらだらとザックを担いだ。

5合目
 眼下に鴛泊の町が見えてきたが、ここでガス発生。小雨がパラついてきた。

 なんてこった。

 まだカッパを着るほどではないので、そのまま6合目に向け歩き始める。

 いつ果てるとも知れない延々と長い山行である。時折、リスが足元を駆けていた。
 6合目突破。

 標高は800メートル。結構背の高いハイマツの森の中をひたすら登る。このあたりで先行するおばさんがひとり脱落。
「わたしは、もう充分だわ」
 と言いながら下山していった。
『お気をつけて』
 と声をかけたが、かなりやつれておられた。
 
 俺はロボットのようにただ足を動かしていた。
 やがて次第に勾配もかなりキツくなってくる。ハイマツやダケカンバの樹の丈が低い。冬季の風雪が凄まじく上へと伸びず横へ広がっているのだ。

 そろそろ俺の息もあがりつつある。とにかく肩からぶら下げたボトルケースに何度も手をやり、水分を補給した。

 7合目突入。七曲がりの看板が見える。ここは休まず、さらに登る。

 ここで、さらにおばさん1名脱落。膝の上の筋肉が痛くて、どうにも足が前に出ないそうだ。次々に登山者が減っていく。

 そして急登。俺は、とにかくゆっくりでいい。焦らず休まず足を動かすしかない。すると「第2見晴台」という尾根へ出た。

 しかし、いつになったら8合目「長官山」山頂へ辿りつくんだ。

 ひたすら丈の低いハイマツの中を彷徨っていると、ようやく長官山、8合目だ。

 8合目の看板の前で荷を降ろし、一服した。既にカッパに着替えている。ガスで眺望がまったく効かない。頂上まであとどのぐらいかかるのだろう。

 凄い不安な気分で休んでいると・・・

「うわあ〜ようやく8合目に着いた」
 可愛らしい女性だ。ここまでひとりで来たのか?

「あっ、こんにちは!ワハハハ」
 なんというか明るいというか健康的というか、大時代的な色白な若い女性?そんな不思議なオーラが漂っている。果て?どこかで会ったか?

「どちらからですか?」
『おっ、俺は福島からです』
「そうですか。わたしは稚内なんですけど、利尻山へ登るのは初めてなんですよ。もうしんどくて」
 やっぱりどっかで会った気がする。

 でも、まさか。小説でもこんな安易な展開はあり得ない。

 実は俺が描いた私小説「島風」に登場するヨシエさんというキャラに、なにからなにまで、そっくりで驚いていた。 
 やがて出発。稚内のヨシエさん?が先行する。しかし、登山道がどんどん下りになっているぞ。この道でいいのだろうか。不安に駆られ山岳地図を広げて立ち止まると、
「大丈夫ですよ。ここからは、頂上に向かう唯一の下りなんです」
 と彼女が教えてくれた。

 そして避難小屋が見えてきた。画像は下山時のやや霧が晴れた状況で撮影したものだ。登りは真っ白で至近距離じゃないと建物が確認できなかった。
 避難小屋到着。

 内部は意外に綺麗に片付けられていた。

「キタノさん、わたしはもうダメ。少し休んでから行きます」
 ヨシエさんは避難小屋で脱落!この時間で動きを止めたら頂上踏破は絶望だ。

 ちょっと待て。俺の名前を教えたっけ?

 ダメだ。頭の中も飽和状態になりつつある。

『悪いが、お先に!』
 と言い残し、俺は前進を開始した。

 するとまた荒れた急な登りになる。もう青息吐息だ。

 ぜぇぜぇ・・・

 下山してきたパーティに、
『頂上まで、あとどのぐらいかかりますか?』
 と訊くと、
「2時間はかかるかなあ・・・」
 存外、あっさりという感じの言い方だった。

 うっ! 
 2時間ですと・・・

 訊かなきゃよかった。もう5時間もひたすら登りの激闘を繰り広げている。

 本当の利尻山の修羅場は、むしろここから先に待っていることなど、この段階では知るよしもない。

 北のへっぽこサムライは寂しそうに肩を落としながら、トボトボと歩いていくのであった。
 ゴアの雨具を着ていても汗でシャツはビショビショだ。そして標高が高くなるにつれ、気温が急激に低下してきた。俺は思いきってシャツを脱ぎ、長袖のフリースを身にまとった。するとかなり不快感がなくなる。

 8合目後半は、登りがかなりキツくなり、足元も大きな岩やジャリで歩行が困難だ。体力がどんどん奪われていく。

 下山してきた家族の奥さんが、
「9合目まで、もう少しです。9合目を越えると火口礫の登りで、ちょっと他の山では体験できない楽しさがありますよ」
 と教えてくれた。

 本当に楽しいんですか?ちょっと信じられない?

 そして長い8合目がようやく終わり広場に出た。9合目の看板を見ると・・・

 なんですか?これは? 
 悪魔だ。悪魔のような言葉だ。これまで俺は充分正念場だと思って登攀してきた。ネガティブになっちまうじゃねえか。呆然としながら煙草の煙を吹き出した。

 ここから頂上まで、どんな修羅場が待っているか想像もつかない。
 暫く体力を蓄積し、よし行くぞ。

 地盤は確かに火口礫となり歩き辛くなってくる。危険地帯は崩落しているか、あるいはその可能性があるらしくトラロープが張られていた。もちろん近づくのは厳禁である。

 どうやら下界から見る頂上手前のあの鋭い壁の部分に取りついているらしい。
 本当に急峻だ。ここまでの行程とは明らかに様相を異にしていた。

 上部から垂れているザイルにつかまりながらなんとか登っていく。

 凄え!凄い山だ。やはり噂に違わぬこの険しさ。多くの登山者の登攀でルートが場所によっては数メートルは削られていた。その部分がまた蟻地獄の如くスリップする。
「う〜しんどい」
 いくらなんでも過酷過ぎる。もう頭の中は、真っ白。多分、俺の顔はもの凄い形相になっていることだろう。

 下山中の山慣れしてそうな青年が見かねて
「大丈夫ですか?あと少しで頂上です。頑張ってください」
 と声をかけてくれた。
『ひゃい。あひがとうごじゃいましゅ』
 俺は、ほとんど言葉にならないお礼を言った(みたい)

えぐられた登山道
 やがて沓形ルートとの分岐を過ぎ、これを越えれば頂上かと何度か思った。しかし、なんちゃって頂上ばかりで、精神的にもダメージを受けた。

 大きな岩をやっとこさ登りきると・・・

 やった頂上だ。

 時間はちょうど12時ぐらい。無理せずゆっくりと登ったので、ここまで7時間もかかってしまった。

 筆舌にし難い達成感。北のサムライ、ついに百名山筆頭「利尻山」を踏破!

 利尻山の凄いところは、登山口が海抜ゼロに限りなく近いことだ。標高1721Mなのだが、この高さをほとんど登りっぱなしということになる。

 これに対し、大抵の山の登山口は標高が700Mとか900Mとかに存在するから、利尻山ほどの高低差はない。

 とにかく島全体が利尻山の裾野ということになる。また島唯一のYH「利尻グリーンヒル」の利尻山登山ツアーでは、わざわざ海中に足をつけてから入山するそうだ。

 しかし、頂上付近もガスで真っ白だ。

 利尻山の頂上は、360℃の大パノラマが素晴らしいと聴いていたが、360℃真っ白。なにも見えない。

 それでもいい。俺は標高1721Mの山頂を単独で登りきったという事実を誇りに思いたい。艱難辛苦の果てに自らの足だけで、この高名な山を攻略できたのだ。

 足元には俺を歓迎してくれるかのように高山植物のお花畑が咲き乱れていた。
 山頂には年輩のご夫妻と、単独で登ってきた男性が食事をとっていた。

 ソロの男性は見た目は外国人(アングロサクソン系?)なのだが流暢な関西弁で話していた。

「これは、いくら待っても霧が晴れまへんなあ」
 ご夫妻の奥さんの方が
「ええ、下山する人たちも同じことを言ってましたよ」
 と溜息まじりで応えていた。
 俺は持参したパンでゆっくりと昼食をとった。

 山の気候は変わりやすい。もしかしたら摩周湖みたいに瞬間的に霧が晴れるかもしれないと期待したが、そんな奇跡はついに起きなかった。

 山頂で50分ほど休憩し、下山の途につく。

 頂上から9合目までの下りも何度もスリップし、本当に悪戦苦闘だった。

 そして・・・

「痛い・・・」
 左膝に激痛が走る。これが怖くてペースをかなりセーブしてきたのだが、ついに古傷の膝を痛めてしまった。あまりにも過酷な行程だったようだ。

 左足を庇いながら、ゆっくりゆっくりと火山礫の登山道を降下し9合目に戻った。そして、小休止して長官山を目指す。

 やや霧が晴れてきた。避難小屋も遠くに見えてきた。なぜか登山道には人気がない。本当に俺は孤独に歩いていた。

 避難小屋到着・・・

 しかし、中にはヨシエさんの姿はなかった。やはりここで諦めて下山したのか。まるで長官山から山頂に向けて俺が迷わないように導いてくれたような感がする。

 ようやく8合目長官山山頂へ辿り着いた。

 すると利尻山山頂が・・・







 みるみる晴れてきたじゃないか。

 なんてこった。

 まあ、山行とは、こんなものかも知れない。

 多少、撮影のため休憩をとった後、8合目から足を引きずりながら下山する。

 入山届には下山15時と書いたが、7合目付近で、既に16時近い。野営場へ戻るのは何時になるだろう。あんまり遅くなって捜索隊が出たら洒落にならない。とにかく急ぎたいが膝の痛みで足に力が入らずジレンマを感じてしまう。

 しかし、本当に誰も居ないなあ。山頂へ居た人たちは沓形ルートから下山したのだろうか?

 5合目を出た段階で、17時ぐらいか。なんだか周囲が急に暗くなってきた。かなり寂寥感が漂ってくる。

 深い森を抜け、ようやく甘露泉水の水場へ着いた。あと少しだ。時間は18時近いぞ。下山届けを出す管理棟はまだ開いているのだろうか。

 気持ちは先行するのだが足がもつれてリズムに乗れない。

 18時、ようやく下山完了。

 なんと13時間も利尻山を歩き続けていた。俺はもう本当に疲労困憊だ。

 管理人夫妻は、戸締りをし、帰宅する直前だった。

『すいません。かなり遅くなりましたが、只今下山しました』
 と下山届を手渡した。
「なんも遅くなってもいいんだよ。無事に帰って来れれば」
 とアゴさんは笑っていた。

 その後、こなごなになったバディで利尻富士温泉に浸かり汗を流し、セイコマで酒と弁当を買った。もう今宵は夕食を作る気力などない。

 酒も少し飲んだだけで、あっという間に酩酊しグラグラになった。

 そして、ふらふらとテントに入って気絶するように深い眠りへ落ちた。


 ここはサロベツ大平原 はるかかなたにそびえたつ

 あれが噂の利尻島 海の中から ぬっと出た

 北の荒波 ものとせず 男が惚れるその勇姿

 ああ利尻 ああ利尻 ああ利尻島



FIN



記事 北野一機



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