〇HP『永久ライダーの軌跡』のサイト管理者

 北野一機と申します。雅号は酔眩(すいげん)。限定的にゴロウさんというニックネームもありき。鳶色の瞳を持つ男。人呼んで『北のサムライ』。後述するが、某キャンプ場で実際に起きたハプニングから、居合わせた他人より命名されただけで、くれぐれも北のサムライを私称しているわけではない。でも、とてもお気に入りのコードネームとなった。

 好きなタイプ:テレサ・テン

 自由人ゆえ、強制されることを嫌う。ぞんがいシャイで人見知りなもので、どこかで見かけてもそっとしておいてやってください。

 久々に復活した1999年夏の北海道ツーリングの記録を残そうと思ったのがきっかけで、立ち上げたのが当旅系サイトである。以来、ほとんど惰性で毎年のように北海道ツーリングの軌跡を掲載するようになった。

〇愛機・バイク歴など

 ゼファー1100、クロスカブ110を現在所有。1981年に教習所で自動二輪中型免許を取得する。1986年(昭和61年)、一念発起して、当時のバイク乗りから超至難の技といわしめた試験場での限定解除一発試験に2度目にして合格した。平成初期の受験者全員一発合格(乱発)できたプレゼント時代とは、まったく次元が異なっていたことを付記しておく。鬼の試験官のこの変節ぶりは、平成の怪だと思った。

 ちなみに1回目も完走したのだが、クランクでマフラーガード(試験車のGSX750に着いていた)がパイロンに微妙に接触していたことが走行後に判明し失格する(でも手ごたえは充分感じた)。受験者百名中合格者数名程度、大型二輪は現実的には不可能だろうと半ば諦めていたので、ライダー人生の中で、いや人生そのもの中で一番嬉しかった出来事といっても過言ではない。

 1987年秋、悪天候の中、CB750Fにて初北海道ツーリングを決行。以来、強烈な『北海道病』に感染してしまう。




○北野一機とは?

 福島県会津若松市生まれ。母方の血筋が会津藩士の直系。実は本家が旭川にあったりする。箱根駅伝にも毎回出場している某大学経済学部出身。卒業後は福島県内に戻るも仕事の都合で各地を転々としてきた。もしかしたら次年度、どこかまた遠くへ転勤する可能性もある稼業である。職業、貧乏侍。キャンプ場でたまたま知り合ったライダーに職業経歴などをしつこく訊かれるままに正直に語ったところ、ネットの匿名投稿で個人情報をばらまかれる。以後、ネットの匿名と知らない人間は絶対に信じなくなった。

 現在、福島市在住。根っからの旅系ライダー。若い頃から基本的に群れない自由な1人旅を楽しんでいる。近頃、とても多忙になり、なかなかキャンプツーリングに出れない。

 昔、北の旅の途中で、実際に某離島で起きたキャンプ場乱入事件にて、大人数のヤンキー集団にたった1人で立ち向かってゆく、信じられない勇敢な姿(本当はヨッパだった)に痛く感動した学生ライダーから、『北のサムライ』という異名を命名される。事件の詳細については、本編の2003あたりに掲載されているので、興味のある方はご覧ください。当時は、心気力が横溢して、かなり無謀なこともしていたけど、流石に昨今はいろいろな面で衰えてきた。つまり老いぼれてきたと思う。

 ランボー事件?これも北の旅の途中で、道東の某キャンプ場での出来事。星空のもと一杯やり、心地よくヨッパになりながらくつろいでいた。波の音が漂う静かな夜だった。すると女性の異様な叫び声が夜空にこだまする。たちまち不穏な空気がキャンプサイトを覆った。なにかとても危険なことが起きている?キャンプ場乱入事件の時もそうだったけど、いざとなると誰もテントから出てこないし、誰も味方になってくれない。誰もが息を潜めながら我関せずとなる。怖いし面倒に巻き込まれたくないと思うのが本音なのだろう。まあ、いつもこんなもんだ。

 ところが北のサムライはヨッパでござる。もといっ、男でござる。女性に悪さをしている暴漢を看過できるほど僕は人間ができてない。というより、男が立たぬ。刹那にテントから飛び出して制止したら、いきなりサバイバルナイフで切りつけられる。

 北のサムライという名は伊達じゃない。即、死を覚悟した。咄嗟に左廻し蹴りで難を逃れようとしたが、逆に左足の脛や頬を切られる。それでもひるまず血だるまで掴みかかり払い腰一閃で撃退した。体重を乗せながら、強烈な巻き込みをかけて地面に叩きつけた(必殺技・キタノスペシャル)ので暴漢をあっさりKOしてしまった。正義は勝つ。ドラマティック道東だねえ〜

 しかし、こんな勧善懲悪シーンに酔っている場合じゃなかった。ザックリ切られた左足の流血はまるで滝のように凄まじい(平然と勝利の美酒を飲んでいたけど)。自分を庇ったばかりにこんな目に遭わせてしまった。自責の念でいっぱいになり涙を流しながら頭を下げていた彼女の車で、〇〇厚生病院の夜間診療へほぼ無理矢理連行された。そして麻酔なしで(ビールを飲んでいたから)、ホッチキスみたいな器具でパチンパチンと7針も縫われる。ランボーか?

 麻酔なしはかなり痛かった。それでも手術中、助けた女性が筆者の手をずっと握り続けていてくれ、ラッキーとか思っていた僕は、相当おバカな人物であった。なにを隠そう、この時の彼女が現在の筆者の妻だったりする(諸説あり?)。翌日から余裕でキャンプツーリングを続けていた筆者を知る人たちはただただ唖然としていた。尚、帰還後、近所の病院で抜糸する。

 女性を救うために刃物を持った暴漢に素手で立ち向かった男。そして手傷を負いながらも暴漢を撃退し、無事女性を救出したヒーローものの完全実話。ほとんど映画ランボー並みの神エピソード?この衝撃の事件で、ずいぶん北のサムライは男を上げた?でも現実は冴えないただのオッサン?このギャップはなんだ?

 今にして思えばキャンプ場乱入事件、 道北の某所でのヌシ撃退、シリエトクへ徒歩での到達(後述)、サロベツからの脱出、そしてこの道東のキャンプ場でのランボー事件等々、長年の北海道ツーリング中に巻き起こった数々のメイクドラマにより、知る知る人ぞ知る『北のサムライ』の戦慄のストーリーが伝説化していく。

 映画化されたらどうしよう?ちと大袈裟か?当時、ランボー事件は流石に生々し過ぎるし、社会的な影響も考慮して、このエピソードを本編にそのまま載せることを自粛した(後年、回顧的に少しぐらいは書いたかも?)。

 野営の奔放なひとり旅をこよなく愛す反面、キャンプ会でヨッパライダーに変身することもかつてはあった。近年は、単独か少人数の仲間との静かなキャンプを好むようになった。どうも派手な脂濃いキャンプが体力的にもキツイ。持病の貧血の症状もかなり悪化してきたし。やはり歳なのかもしれん?

 良くも悪くも大雑把。時代遅れ。特に何かに優れているわけでもなく、人に自慢できることもない凡人である。どちらかというとメカにあんまり強くない。理系が苦手?浪花節に弱く、単純で涙もろい。感情量が無駄に多いような気もする。そして人に裏切られる出来事も多かった。そんなことから、近年人見知り傾向がますます強くなってきた。それでも筆者は一本筋の通った信義ある男でありたいと思う。あまりにもまっすぐな眼をした男、これ以上、自分で言うな。

 通勤の途中で、カーステでJPOPのCDをよく聴いている。カラオケはまあまあ好きだけど、音楽的なセンスはほとんどない。高校や大学の頃、少しだけガットギターを弾きながらフォークソングを歌っていたが、指が固いのかFのコードが苦手という致命的な事実に気づいた。これが結構ショックでギターから遠ざかってしまう。

 絵画なら多少は描ける。文字は努力で克服した。料理は、最低限のキャンプレシピ程度。クッカー炊きは神レベル?機械類に疎い中、PCとは絶対に関わりたくなかった旧人類だった。はずだった。しかし、若いんだからやっておけとPC仕事を年配者から否応なしで押しつけられ続ける。

 月日は流れ、いつしか年配になった文系の筆者が専門となりPCを教える立場になってしまうとは。これはいったいなんの罰ゲームなのであろうか?でも仕事なのだから逃げるわけにもいかない。まさしく悪戦苦闘で日進月歩の機械と時代に翻弄される日々が続く。今も情報系には何の興味関心がないので、必要以上には関わらない。当然、携帯はガラケーである。PCや携帯がなくても和式ナイフ一本で余裕で旅ができる。←やっぱりランボーか?

 以前は創作系の読み物、いわゆるオリジナル小説をオフ(冬)の時期などに余技程度でこつこつと描いていた。今でもたまにゲームソフト会社からロールプレイング系のシナリオの執筆依頼のオファーをいただくが、文筆が本業ではないし、正業が多忙なのでお断りしている。

 また、うちの作品の盗作事件や匿名(盗作者)による長年にわたる荒らし騒動、心ない誹謗中傷などにより、すっかり創作系に興醒めしてしまった。知らない奴がうちの作品を不正コピーし、それを自作として、ブログに無断連載していた事実には怒りよりも呆れてしまった。

 北のサムライが夜な夜な多少ヨッパになりながら、心地よく昔を物語っていただけの昭和のオサッンの妄想・・・もとい、ささやかで懐古的な趣味のストーリーの記録だった。まあ、筆者なりに一生懸命、自分のこれまでの生き様や旅先でのエピソードを参考に綴った、架空ながらも自叙伝的なストーリーだったのだ。

 それでも純粋に楽しみにしてくれていた隠れキタノファンの読者の皆様もぞんがいおられ、掲示板でほのぼのとした雰囲気で交流していただけだったのに。人は人、それでいいんじゃないか?盗作がばれて注意されたことが悔しくて、ねちねちと何年も匿名で荒らし行為を続けていた事実とか、女の腐ったような奴だとさらに呆れた。あまりにもクズ過ぎる。

 キャンプ道具、特にテントはいろいろ試してきたけれど、僕はアライのエアライズ2が軽量と広さを兼ね備えていて使い易くて愛用している。併せてタープはスノピのペンタがとても軽く、エアライズとの組み合わせが絶妙で気に入っている。いくら機能的に優れていても重いテントは、ロングツーリングではうんざりしてしまう。







 ”人に疎い”と家人からもよく言われるのだけれども、”人は人”という意識が強く他人に関する興味がほとんどない。もちろん困っている人を見放すということではない。世のため人のためなら行動で男気を通す。

 震災時、福島市内、24μSvの放射線の降る中をスーパーカブで平然と駆けまわっていたあの頃の北のサムライ。微力なれど、被曝しまくりながらも避難所の仕事を必死で手伝っていた男。これらの無理が近年の身体不調の遠因となったか?だとしても我が生き様に一片の悔いなし。北のサムライの命なんざ、真に使うべき時節に潔く使い切るべし。

 乱世のキタノ!だが平時は、よそ様への余計な干渉をしない、ただのマダオ(まるでダメなオッサン)であった。孤高であり、無頼派でありたい。世の趨勢に左右されず我が道に徹したいという心境になってきた。

 思うところあり、2010年から禁煙。ヘビースモーカーだったので止めるときは本当に苦労する。それでも医者にもかからず自力で克服した。今更キタノは愛煙家とか知らない奴が知らないところでテキトーなことを匿名投稿するのはやめたまえ。

 既婚。








○武道

 柔道参段。空手道弐段。空手とか武道を夢中になって修行していた時代もあったけれども30代半ばで大怪我をして引退した。最高戦績・防具空手(硬式空手)県大会2位。極真空手も3年ほど通ったが前述の通り大会で負傷。もともと腕力はある方だが、運動能力はさほど高くはない。身体が固い方。ただ若い頃は、ひたむきに努力し、大会等には敗退続きでも積極的に参戦するひとかどの武道家であったことは自負する。実は酔拳の達人という噂もある。諸説あり?







○アウトドア

 キャンプツーリング。トレッキング・登山。スキー。2005年夏、日本最後の秘境、道なき道を2泊3日かけて、シリエトク(知床岬)までの縦走に成功したのが、筆者の最大のチャレンジだったと思う。

 「知床岬なんかたいしたことない」とか「永久ライダーの記録は大袈裟だ」とか、シリエトクアタックが終わってから、ネットの匿名であれこれイチャをつけ始める連中がいたらしい。されど日本最後の秘境はハンパじゃない。生命にかかわるような遭難事故が数年間隔で発生しているし、ちょっとでも気を抜いたら死と直結するような難所がいくつも存在した。さらにシリエトクへの道のりは、世界一のヒグマの密集地帯という最恐のオマケつきだ。

 道なき道のりと立ちはだかる難攻の真実を知りもしないでシリエトクを舐めないでいただきたい。常に死と隣り合わせだった。僕は数年越しのこの企画を貫いて、知床の自然に対する敬虔な気持ちと生き抜くことへの感謝の念を持つようになった。

知床岬踏破の軌跡リメイク版

 百名山安達太良山に魅了され、7つの登山口から頂上まで通算96回にわたり踏破した。100回踏破目前で病魔に倒れてしまう。いずれ体調を整えて頂上百踏破を近年中に達成させたい。ちなみに窓から美しい安達太良山の山頂が朝な夕なに拝める自宅に棲んでいる。

 現在、療養中なので野外活動は休止中である。

○その他の趣味

 日本史研究。読書人。銀幕も好き。ぞんがい文系(というよりモロに)の一面あり。ジョギング。ラーメンとか食べ歩くのも楽しみ。マイナー温泉巡り。動物好き。南相馬在住の頃に保護した仔猫のミミをまるで我が子のように可愛がっていた。観葉植物、苺の栽培なども。


 
 高校から大学にかけて実家で飼っていたシェパードで、僕にとても懐いていた。この子も忘れがたいワンコである。

 司馬遼太郎の歴史小説は高校時代から読んでいる。読み手を引き込むような語り口に時を忘れてしまうぐらい読み耽っていた若い頃。浅田次郎の人情味溢れるストーリーにもハマってしまった。ライダー作家山田深夜の読み物には、僕自身の過去の旅を投影してしまい大いに共鳴している。その他、ミステリー系や冒険家・植村直己の著書などもずいぶん読破してきた。

 2018年夏・2020年春と二度にわたり大病(手術入院)をしてしまう。2018年夏は、病名・病状から本当に死を覚悟した。というわけで激しい運動はできないが、毎朝、最低限の走り込みと筋トレ、木剣による素振りは欠かさない。

 衰えたりとはいえ「北のサムライ」の矜持は捨てていない。今でも力を入れると胸の筋肉が上下に動くバディを維持している。生涯武人でありたい。五十肩が痛いけど。

 ラーメン好きで、週に一度は必ず食べている。昨今ハマっているのは白河ラーメンだ。近年、福島市内に美味しい白河ラーメンのお店が続々と開店しているのが遠因かもしれない。豚ガラ・トリガラの効いた醤油味のスープがなんとも旨い。

 温泉は北の大地でハマった。近年、飯坂温泉・土湯温泉・岳温泉など、筆者の現在の棲家の周囲が、大小無数の一大温泉スポットである事実にようやく気づく。あまり知られてないような日帰り温泉施設等に足繁く通うようになった。

















 剣鉈・ナイフなどの刀剣マニア。ある程度刃も自分で研ぐ。観賞用・実用とも収集している。又鬼刀・シースナイフなども所有するが、和式ナイフの最高ランク、土佐剣鉈レッドオルカ甲伏造(日本刀の製法)が興味深い。実用剣鉈は登山でのやぶ漕ぎで使用。熊などに遭遇した場合の最終手段としても想定している。

 自分で言うのもなんだが身だしなみにはぞんがい拘るお洒落。オーダーメイドのスーツを3着・ダブルの紺ブレ1着を所有している。夏用冬用ともスーツ・ブレザーを数種類でローテーションさせ着こなしている。それが結果的に長持ちすることにつながり、30年近くも現役で愛用している洋服も存在する。日常では清潔で颯爽たる紳士でありたい。衣食足りて礼節を知る。

 四駆信奉者。四輪車は、4WDしか所有したことがない。常に悪路・雪道を想定している。ちなみに今まで乗り継いだクルマは、三菱JEEP→カローラ4WD→イプサム四駆→サクシード四駆(現有)。サクシードは貨物車なので余裕で車中泊が可能。いつの日か車中泊の旅もしてみたい。

○座右の銘

 
巧偽拙誠(こうぎせっせい)
 
 言葉巧みな偽りよりも、拙い誠実さのほうが良い。策略を弄するよりも不器用でも真っ直ぐな生きざまでいい。近年、筆者の周りで起きた不可解な出来事・現象をかんがみるとしみじみ痛感する言葉です。

 また、2度も覚悟の大手術をすると死を無用に恐れなくなったような気がします。いつの日にか、いや、もう確実に近い将来に人生の終わりはやってくるでしょう。そんな筆者の軌跡を『北のサムライ』として、生涯いち旅人として、見苦しくなく有意義に生涯を完結させたいと考えています。


 
ヨッパライダーで不器用だけれども愚直な生き様を晒してきました。それをカッコイイとは思わないし、恥じるつもりもありません。

 それでも、北のサムライの熱き生き様にはドラマがあった

 簡単なプロフィールのはずが、なんの脈絡もない雑文をつらつらと思うがままに書いてしまいました。冴えないただのオッサンの昔話、無駄話でした。悪しからず。


 僕個人の私的なサイトなもので、家族のことなど、つまり個人情報については絶対に触れないでください。ネットで、赤の他人のファミリーなんぞまったく関係ないことでしょう。



※北の大地での主なチャレンジ系の足跡




摩周岳踏破(単独・2007.8)

利尻山踏破(単独・2006.8)

知床岬踏破(縦走テン泊2泊3日パーティ・2005.8)

羅臼岳踏破(パーティ・2001.8)

礼文島、愛とロマンの8時間コース完歩(パーティ隊長・2000.8)





 人は人。知らない世界で知らない奴が、他人のことをあれこれ干渉するより、まずは各自の旅を有意義に楽しもうではないか!



北野酔眩



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