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山伏林間野営場にて
ふと目覚めると既に外は明るい。不覚にも寝坊かと思いつつ時計を見ると5時30分きっかり。おそらくこの日の俺は20数年に及ぶ、ライダー人生始まって以来という超長距離走行を強いられることになるだろう。寝坊は許されないのでかなりホッとした。 外は一片の雲もなく晴れ渡り、朝陽が目に沁みる。しかし気温は相当低い。サイココンパスは5度を示していた。 湯を沸かし、パンとコーヒー、そしてインスタントふかひれスープで軽めの朝食をとった。一応、米を持参しているが時間に追われているせいか一度もクッカー炊きをしないで終わってしまうのが物足りない気がする。 サッと洗面を済ませ、テントの撤収作業開始。いつもは面倒でしょうがなくダラダラやっているのだが今日はなんだか気持ちが引き締まるような感じでポールを折りたたんだ。 パッキングを済ませマシンを暖機させながら、このキャンプ場を改めて見直すと素晴らしい展望だ。キャンプサイトが切り立った岬の上に存在するので、岬の先の日本海のコバルトブルーの眺めが実にお見事。暫し見入ってしまう。トイレだけはボットンなんだが、つくづくいいキャンプ場だと思った。なんだかこの旅はキャンプ場に恵まれたようだ。 マシンに跨りいざ出撃とアクセルに手をやろうとした時、 「お帰りですか。どちらまで」 作業着姿の初老の男が話しかけてきた。昨夜の管理人のじいさんよりは全然若い。息子さんかな。 『はい。福島なんです』 「それは遠い。どうかくれぐれもお気をつけて。またいらしてください」 穏やかで非常に紳士的な話し方をする人だ。女房の今は亡い温厚で優しく俺が大好きだったじいさんを彷彿とさせる。 『お世話になりました。機会があったらまた来ます』 俺は一礼してアクセルひねった。 暫しダートを走り、岬に沿って走る県道へ左折した。気温は10度前後まで上がっているが、体にあたる風はまだ冷たい。左手には、じょんのびと能登半島の内海が広がっていた。奥能登独特の風情が漂う木造り黒瓦の家並みが旅情を湧きたたせてくれる。 見付島。弘法大師が見つけたから「見付島」と呼ばれるポイントを通過。別名「軍艦島」だとか。いい景色だ。気温もぐんぐん上がってきてまさに絶好のツーリング日和となった。 |
恋路海岸 |
恋路海岸。内浦の優しい女性的な景色だ。丸みを帯びた海岸線とゆったりとした波はとても静かな感じがする。悲恋伝説も伝えられているらしく若い男女の像も建てられていた。そんなエピソードから、この海岸線を走る道路は「ラブロード」と呼ばれているそうだ。本当に穏やかな砂浜が広がっている。 |
やがて、テトラポットが無数に立ち並ぶ海中道路「能登内浦線」へ突入。テトラポットがなければさらによし。道も意外に空いていて快適な走りが続く。左手の海岸をちらりちらりと眺めながら九十九浜へと辿り着く。大小の入り江が複雑な海岸線を見せている。小さな港でマシンを停めて画像を撮ろうとしていると丁度大漁旗を掲げた漁船が入港してきたところだった。 | 九十九浜 |
そろそろ燃料を補給しておきたい。ガソリンスタンドが開く時間帯だろう。丁度、ENEOSの看板が目に入った。タンクに満タンのレギュラーを入れ終わると、スタンドのおっさんが 「今日はどちらまでいかはるんですか」 と聴いてきた。 『福島に帰るところなんです』 と応えると 「うはあ、それは遠い。今日は一日中運転しているようやねえ。ちょっと待ってや」 と事務所に走り、リアルゴールドを差し入れてくれた。 「絶対に無理しはったらあかんよ。これ飲んで精つけてください」 と優しく笑った。旅先での親切は身に沁みる。 『あ、ありがとうございます。遠慮なくいただきます』 とても暖かい奥能登の人情に触れ、かなりジ〜ンときながらスタンドを出る。 |
縄文真脇付近の隧道 |
妙にレトロな雰囲気の隧道をくぐった。車同士が2台すれ違うことはできない。つまり片側交互通行だ。おお、俺はこういう古き良きスタイルが好きだ。でもオートバイの俺が車とすれ違った時は狭過ぎてかなりビビったぜ。 |
しばらく走ると港町へ出る。見知らぬ港町、なんだか昔どこかで見たような懐かしい雰囲気の街並みだ。狭い路地を走り抜ける。海岸線に拘りながら走っていたが出口がない。気がつくとまた例の隧道に戻っていた。この作業をさらに2度ほど繰り返してようやく気づく。港町の出入り口がこの隧道だけだから、この隧道を出ないと先には進めないらしい。えらいロスタイムだが旅先のアクシデント(多過ぎ)も楽しみのひとつだ。 そして単調な海岸線をふたたび走る。とにかくひたすらアクセルを握り続けているうちに七尾市へと入っていた。 能登食祭市場へと入る。ここは能登の生鮮食品や加工品が揃う。もちろんグルメコーナーもあり。 しかし、GWというだけあって、すげえ人混みだぜ。思えば能登に来てから地のものをなにも食べてない。地産地消、少しばかり贅沢をさせてもらうか。 まずは能登の魚を喰らいにグルメコーナーの寿司屋「たぶ屋」へ。握りを一人前オーダーすると・・・ |
ウメー、こいつは本当に美味い。本物だ。ネタが実に新鮮だし、シャリもしっかりしている。熟練の職人の技だ。かなり感動しちまった。最近、懐具合が寂しくてねえ、グルグル回る寿司しか喰ってねえもんな。しかも一皿オール百円の。本物の寿司になんだか涙が出てくるぜ。ああ情けねえ。 | 絶品の寿司 |
網焼きの牡蠣 |
続いて浜焼き屋で牡蠣を5個ばかり購入し、網であぶる。実は能登半島の内海は波が穏やかなので牡蠣の養殖も盛んなのだ。暫し待ち牡蠣の蓋が開いた頃、ナイフでかき出して身をぺロリ。う〜ん。決して不味くはない。しかしどうしても北海道厚岸の牡蠣と比べてしまう。 |
まったく厚岸の牡蠣には味も身の大きさも足元にも及びませんでした。地元の皆様、すいません。厚岸の牡蠣がウルトラ級に美味過ぎるから仕方のないことなのです。でも能登の寿司の方は最高でしたよ(なんでまたここだけ敬語になってんだ) |
いまいちかなあ〜? |
よし能登の海の幸も満喫した。あとは無事帰還するだけだ。スロットルをあげ一路北陸道小杉ICを目指す。 道はGWの真っ最中ということでメチャメチャ混みまくっていた。しかもかなり暑くなってきている。そしてR8のガソリンスタンドで給油。今日2度目の給油だ。ということは能登半島の先端からここまで200キロ以上あるということだ。時間にして5時間以上。これから自宅まで何度給油することやら。気が遠くなってくる。 北陸道へ乗った。風が強い。またも横風攻撃を浴びまくり。時には数メートルも横に流され生命の危機すら感じること暫し。俺はいつも苦しい思いばかりをしながらなぜ旅を続けているのか。おそらくくそったれの日常や世の中より命がけのツーリングをしていた方が遥かに有意義だし自分自身へ素直になれると思うからだ。 近年、公私全般にわたり、人の心の卑しさや醜さをあまりにも目のあたりにしていた。情に厚く生きようとする人間ほど裏切られ騙されて痛い目に遭う。姑息なやり方で他人を追い落とすより、もっと人間らしく生きられねえかなあ。何事もチクったが勝ちの世界だ。 エゴイズムで打算的な陰謀渦巻くまさに魑魅魍魎の社会全体。世の中は絶対に危険な方向へと流されつつある。 風潮だけに流される「全体主義」はやがて独裁者を生み、弾圧、差別、搾取など大変な結末をまねくことになるだろう。多くの凄惨な歴史が無言で物語るように。 それでも悠々たる黒部の大河を渡りきる頃には、気持ちがライダーズハイへと高ぶってきた。俺は俺らしくストレートに生き、そしてただ突っ走るだけだ。それすら邪魔する奴は誰だろうと赦さねえ。 越中境付近ではトンネルや覆道を出るたびに突風という波状攻撃をかけられる。空と海の色は青と蒼の目の覚めるような色彩を重ねて広がっている。北陸道は海沿いを延々と走る素晴らしい眺望の高速道路なんだが、ただただ風が凄過ぎるぜ。 ようやく往路で北陸道に乗った名立谷浜ICを通過。なるほど能登半島まで遠いって、そっちこっちで言われたワケだ。途中、またも給油して柿崎、米山、柏崎を突っ走る。 黒埼のサービスエリアで煙草を吸いながら休憩しているとXJRの男が話しかけてきた。 「どちらまで行かれていたんですか」 『はあ、能登半島なんですか』 「遠いですね。何泊ぐらいの日程で」 『2泊3日のキャンプツーリングです』 「うわあ。凄く羨ましい。僕はなかなか連続して休みがとれないもので」 と言い残し馬上の人となりコクリと頭を下げて消えていく。 そっか。なかなか休めない人も世の中には多いんだなあ。俺はその点では恵まれてる。まあ、休めない人の分まで旅の記録を発信して行こう。そのためには愚痴を言わず行動することだ。俺も出発しよう。 ハーレーのおさっん軍団が爆音をあげながら群をなしてエリアを去っていく。澄みきった空は高く、まるで絵に描いたようなイワシ雲がひとつだけ見え、風に乗って勢いよく俺の頭上を飛んでいた。さらに渡り鳥だろう。空の鳥たちも群れをなして北陸道の上空を横切って飛んで行った。なにもかもが激しく動いている。時代の変遷と同じように。 新潟中央JCTから磐越道へと乗り換えた。日が傾き気温が急速に低下してきた。ブルブル震えながら福島県へと入った。そしてサムライの国会津へ。ここまで来るとようやく帰ってきたというような気になる。 猪苗代ICで本日4度目の給油。ちょっと待てよ。俺は旅のなかで走行距離なんぞに拘らない男だ。しかし今日は1日だけでおおよそ800キロ(2泊3日トータル約1700キロ)はゆうに越えるだろう。1日に800キロって俺にとっては過去最狂だ。また総走行距離1700キロも俺のまったりペースの北海道ツーリングなら一週間分の走行に匹敵するだろう。我ながらよくぞ走り抜いた。 猪苗代ICを降り、走り慣れたR115へと入った。 ちょっと半端じゃない寒さとなり、行きつけの農家の直売店でけんちん汁をすすった。おお、蘇えるぜ。暫し冷え切った体を解凍した。 「あら、あんたかい。どこまで行ってきたんだい」 この店とのつき合いは古い。俺の顔はおばさんにしっかり覚えられている。 『ああ、ちょっと能登までな』 「うわっ、寒い中、そいつは難儀だったなし」 なんだか訛りが懐かしい。 よし、暖まったし、この旅ラストの走りだ。 土湯峠はもう真っ暗だ。電光掲示板の気温は3度。マジっすか。手の先の感覚が麻痺してくるぜ。峠を降りきると福島市内へ入る。渋滞の街を暫し走り、やがてこの旅もようやく終わりを告げる。愛機ゼファーよ。疾風の如く長距離をよく走ってくれた。ありがとう。 これからは旅よりも辛い妻への超おべっかタイムの世界へと突入するのだ。しかし、ここで重大過ぎる衝撃的な事実(ミス)に気づく。 あっ、お土産買うのをすっかり忘れていた(恐) 最後の最後にストーリーが急転直下。果たしてどんな私刑が俺を待っているのか?どっ、どうしよう。やっぱもう1回、能登に引き返すしかねえかなあ・・・ そこには自宅に入れず、ドアの前をうろうろする不審人物がひとり居た。 |