北海道ツーリングストーリー



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 小雨が降りしきるなか、室蘭へ向かう。平地に下りるほど蒸してきやがった。

 室蘭入りする。室蘭は天然の良港を活かし、鉄鋼や造船などの重工業を主軸に昔から栄えていた生産の街だ。しかし、これらの主力産業の深刻な不況により、近年、人口の減少が続いているとか。

 地球岬到着。アイヌ語のポロ・チケップ(親である断崖)と呼ばれ、チケウとやがて転訛し、地球岬という当て字が使われるようになったらしい。室蘭市街のR36沿いから意外に細い昇り道を越えると白亜の灯台が見えてくる。

 ここからの眺望は天気がよければ遥か対岸に下北半島が見えるそうだ。しかし、あいにくの曇り空だ。視界の数キロ先は霧で真っ白。まあ、しゃあねえな。

 さて、今夜のネグラ、キャンプ場を探すか。周辺の思い当たるキャンプ場を確認しながら登別方面に向かった。ところが思ったようなキャンプ場がない。最後の望みを賭けて倶多楽湖キャンプ場へ到着。

 がっ・・・

 ヨッシーとふたりで、キョロキョロと探し回ったがない。存在しない?

 キツネがうじゃうじゃいて、こっちをあざ笑うかのように俺らの方を見ている。
『見てんじゃねー、キツネども』
 キツネに八つ当たりしまくり。ああ情けねえ。

 とりあえず地獄谷でも見ながらもう一考しよう。撤収!

 大湯沼は、周囲1km、深さは22mだ。底から硫黄分を含んだ白く濁った熱湯を噴き出していた。なんでも表面は50℃くらいだが、深いところは130℃にも達するそうだ。

 料金所はある。しかし時間が遅いせいかシャッターが閉まっている。人気がまったくない。あたりを見渡すと屋根付きのベンチがあったのでそこに腰かけて煙草をふかした。

 あたりはもう暗い。

「キタノさん、どうしましょう」
 ヨッシーが不安げに訊いてきた。
『まあ、酒も食料も買ってあるし、このままここで野宿しちまうか。この硫黄臭じゃ蚊もいねえし快適かもよ』
「それもいいスねえ」
『ちょっとまてよ。このまま朝までここにいたら、蚊どころか俺らも硫黄でおかしくなっちまうんじゃねえか?』
 北の大地、最後の夜なのに残念だが、潔くビジホ泊に決定する。

 かねてからこんなことが遭った場合に調べておいた苫小牧の「ホテル於久仁」へ携帯から連絡するとうまく予約がとれたので出発。しかし、もう周囲は真っ暗だぜ。

 於久仁到着。1時間近くもかかっちまったぜ。慌てて荷物を降ろしてフロントへ向かった。フロントのおねえさんへ頼み、ダンボールなどを出してもらってキャンプ道具などの荷物を宅配してもらう手続きをしているとさらに遅くなってしまった。

 そろそろ旅の疲れも出たのかな。今夜は本当に疲労困憊だぜ。大浴場でじっくりと汗を流して早めに就寝した。

 布団で寝るのが心地よ過ぎて逆に何度も夜中に目を醒ます。テントの方が熟睡できると思うのは気のせいか?

 そして翌日は安らかに寝坊する。

 時間ギリギリにサービスの朝食バイキングをとりに1階へ降りた。食べながら最終日の今日をどう過ごすか考えた。

 ヨッシーに
『日高ケンタッキーファームにでも行くか』
 というと彼はふたつ返事で頷いた。

 陽射しがきつい。最終日は素晴らしい好天である。終わりよければすべてよし。門別の日高ケンタッキーファームへ機首を向けた。道の周囲はサラブレット銀座といわれるようにまさに牧場ばかりだ。牧草の鮮やかな緑が目に沁みる。

 日高ケンタッキーファーム到着。入場500円。一応、牧場のようだがパターゴルフ、釣堀、乗馬やアーチェリーなどが楽しめる。とりあえずレジャースポットだな。野郎同士で来る場所じゃねえ。ファミリー向きだ。

 厩舎近くでそんなことを考えているとひとりの若者ライダーが話しかけてきた。
「いつまで道内にいらっしゃるんですか」
『きみは?』
「ええ、今夜の苫小牧からのフェリーで帰ります」
『じゃあ一緒だな。ところでいつから来てんだい』
「今朝です」
『ゲッ・・・・』

 まっ、マジかい?今日渡道して今日帰るの?呆れるというより凄い野郎だ。
「馬に会いに来たんですよ。時間まで馬と一緒に居れればいいんです」
『そっか、あと何時間もねえが、心置きなく馬と話していくといい』
「はい、ありがとうございます」
 彼は、屈託のない笑顔で応えた。

 19日間も北海道を旅していた俺やヨッシーはなんと贅沢だったことだろう。できることなら若者に何日か休みを分けてやりたいぐらいだ。

 ここまでして北海道ツーリングに拘る貴殿の壮挙へ心から・・・

 乾杯!

 夕刻、苫小牧港から無事フェリーに乗船し、すぐにデッキに向かったそしてじっと苫小牧の街の灯を見つめていた。

 俺の胸中は、ほとんど伝説的な北海道ツーリング小説”振り返れば地平線”の主人公みたいな心境だった。

 来年も必ず帰ってくる。いや生涯、北海道ツーリングは続けていくだろう。この旅であったすべての出来事が、いっぺんに噴き出してきて、なんともいえない充実感と達成感に酔っていた。女房子供が居てもやれば出来る。またできる環境に心から感謝している。

 いつかきっと家族で北海道キャンプ旅をするだろう。たぶんすると思う。するんじゃないかな?まあ、ちょっとはするかも知れない?

 非日常、しばらく忘れていた言葉だった。

 そして出航の銅鑼がなり、フェリーは波の軌跡を残しつつ静かに動き出した。

 非日常のロングツーリングで人生観が変わり「なにごともやればできる」という自信がついた(ヨッシー談)

 このツーリングの経験がきっかけとなり、一念発起したヨッシーは勇躍海外青年協力隊を志願。彼は、この読み物のなかでは「あんちゃん」風に描かれているが、本来人物的に有能で高尚な人格者(マジで)であることを付記しておく。そして、2年後、遥かブルガリアの任地へと羽ばたいていく男だ。国際的な旅路へと・・・

 久々のロングツーリングだったが、この頃は旅の知識も野営の技術もなにもかもがまだまだビギナーな草創期のキャンプスタイルだった。けど、俺は、その後の旅の礎となる確かな手ごたえを感じていた。思えばHP「永久ライダーの軌跡」公開の出発点もこの旅からだった。

 俺やヨッシーにとって最高の旅だったと断言できる。もう浮世の出世も金儲けも眼中にないね。ただ旅とともに生き旅とともに消ゆる生涯だぜ。

 ワッ、ハッハッハ・・・

 しかし、困ったもんだ。



 このストーリーは、旅人キタノが’90年代の終わり頃に体験した本格的な北海道ツーリングの出来事をモチーフに描かれた私小説です。登場する人物は、基本的に実在の方々でした。

 キャンプツーリングの考え方、やり方など、いろいろと切り替わる時期だったような気がします。

 ただ、あの頃は、ツーリングライダーなら、誰もが北の大地を旅することに憧れていただけでした。




FIN



2004.11.10UP



北野 一機 著



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