よく寝たわ。凄く爽快な気分。

 ジッパーを開けて外に出るとオホーツクの方角から真夏の勢いの朝陽がゆっくりと昇ってきた。同時に無数の野鳥たちの朝の喧騒も始まり出す。

 いい朝だ。

 さっそく洗面を済ませ、レディのたしなみも整えてと。あっ、そうそう、今朝はゆっくりできないの。明日には苫小牧港から大洗行のフェリーに乗らないといけないんだっけ。出来る限り、苫小牧へ近づいておかないと。

 テキパキと撤収を開始してパッキングを終了させた。

 ところがね、キタノさんが、なかなか起きて来ないの。絶対に飲み過ぎて二日酔いになって、ダウンしちゃってるんだわ、きっと。しょうがないわね。

 黙って出発するのも非礼なんで、キタノさんのテントの前で、
「おはようございます。そろそろ出発しますね」
 って声をかけてみたの。

 少しだけ間があって
「おう、今、外に出る」
 なんとも覇気のない声が返ってきたわ。

「おっ、おはよ。普段は俺も早起きなんだが、今朝は寝坊しちまった。ワリィ」
 って寝癖がついたままの髪でヨタヨタとテントから這い出してきたわ。

「ホントはね、夕べ教わったクッカー炊きで、キタノさんに朝食をご馳走して恩返ししたかったんです。でも日程的に無理だから、お米を置いていきますね。内地に戻ったら本格的にクッカー炊き、いえ、キャンプツーリングをしてみます」 
『そうだ、マッキー。百篇の理屈より、一回の実践あるのみ』
 キタノさんは、満面の笑みを浮かべながら力強く頷いた。

 その言葉を聴いたらなんだか込み上げて来ちゃって。
「また会えますよね」
 って、ほとんど涙声になっちゃったの。
『ああ、北の大地を旅していれば必ずまた会えるよ』
 キタノさんは、優しく呟いたの。

 わたしはツーリングマップルのメモ欄へ、
「記念に一言書いてもらえますか」
 とお願いすると、照れ笑いしながら、



 顔に似合わない達筆な字でキタノさんは書いてくれたわ。

「失礼します」
 マシンに跨り、手を振りながら、少しずつスロットルをあげた。

『気をつけて行って来い、マッキー』
 わたしの瞳をじっと見つめていたわ。女ってね、そういう風に見つめられると脆いのよ。これって恋なの?わたしはクマちゃん、いえ、キタノさんに惚れちゃったの?

 でも、少し違うみたい。映画「シェーン」の少年と旅人の別れのような爽やかな決別のシーンが彷彿していた。

 キタノさんて、風のように自由な旅人なんだわ。

 彼も恐らく日常の悩みやシガラミをいっぱい背負ってるんじゃないかしら。過去のとてつもないほどの哀しい記憶を今も鮮烈に引きずっているような気がした。

 無頼で人を寄せつけない雰囲気がある?けど逆になぜか強烈に惹きつけられてしまう不思議な旅人の魅力が滲み出ているのよ。絶対に。

 昨夜、ひとりで寂しそうに湖を見つめながらマグカップを口にしている姿をテントから覗いて、そういう哀愁?いえ、言葉では言い表せないオーラ?彼をこのまま放って置けないという母性本能?つまり男のメロンが激しく伝わってきたわ。

 でも硬派な彼は、誰にも愚痴なんて言わないの。愚痴ばかりのわたしと違って本当に強い人物なんだわ。長い間、旅を続けているとそういう風になれるの?わたしもいつの日か、そんな素敵な旅人になってみたいわ。

 なんとも寂しい気持ちに込み上げてきた。これが旅の別れというモノなのね。

 バックミラーへ写る満面の笑みのキタノさんは、いつまでもいつまでも手を振ってくれていたの。

 さいたまへ帰ってからは、暇があればキャンプ旅を続けたわ。あの旅でキタノさんから、
『男にふられたぐらいで、いつまでもクヨクヨするんじゃない。まずは実行してみろ。きっと何かが見えてくるぞ』
 そっと背中を押された気がしたの。

 学校やバイトの合い間に、関東各地、信州、遠くは裏磐梯、とにかくキャンプ旅をしまくってみたわ。トオルの幻影を断ち切るが如くに。

 わたしもとにかく失敗の連続だったわ。でもそういうシチュエーションの中で、いろいろな工夫をしながら乗り切れるようになったの。料理のバリエーションも広がり、クッカー炊きに至っては最早不覚をとるためしなどあり得ないわ。だってクッカー炊きの神様からの直伝だもの。

 そして、裏磐梯の桧原湖ママキャンプ場で野営をした時の払暁、桧原湖にきらめく美しい朝焼けの光景を目にしたの。言葉を失ったわ。そして、その刹那、全部ふっきれたの。こんなに荘厳な風景に出会えた自分ってなんてラッキーなのかしら。もうトオルことなど、どうでもいい。

 キャンプツーリング、世の中にこれほどおもしろい旅などないわ。とにかくキャンプ最高。

 やがて、あっという間にまた夏がきた。もちろん北海道へキャンプツーリングの旅に出たの。苫小牧に上陸し、あちこちで野営しながら道東を目指したわ。

 屈斜路湖の和琴キャンプ場でパッキングの紐を解いた。テントを設営し、一息ついていると、
「ねえねえ、おねえさん、おひとり?一緒に飲みませんか?」
 いかにも軽薄で、頭の悪そうなおにいちゃんが、話しかけてきた。

 うんざりなのよねえ。こういう連中って。こいつらにとっての北海道ツーリングって、ボリュームのある料理を喰らうことと女の尻を追っかけることしか頭にないようだわ。動物並みね。

「一緒に飲んでもいいけどさ、その前にわたしお腹が空いちゃったの。ご飯、ご馳走してくれない?」
 と言うと男の表情が変わり、
「そっ、それがその、米とかクッカーを忘れてきたもんで」
 嘘っぽく呟いた。
「それなら、わたしのクッカーとお米を貸してあげるわ」
 男は明らかに狼狽していた。
「じっ、実は米の炊き方が・・・」
 声のトーンがさらに弱くなってきた。

 わたしは、ちょっとイジワルしてみたくなっちゃったの。
「じゃあ、わたしが教えてあげるわ。お酒はご飯の後ということでいいわね」
 有無を言わさず、そう宣言したわ。

 そして、

「水気が完全に切れてから、焦げるか焦げないか微妙な匂いがしたらバーナーの火を止めるの。なにやってんの。まだ早いでしょう。旅人は創意工夫なのよ」
 わたしは泣きそうになっている男をビシビシとしごいてやったわ。

「わたし自身も去年までなにもできなかったの。それでも失敗の連続でキャンプの技術を身につけたわ。甘ったれんじゃないわよ」
 弱い動物をいじめてるような気がして、ちょっぴり後ろめたい感じだったけど。フフフ。

『マッキーじゃねえか。俺だ。キタノだ』
 隣のサイトから、聞き覚えのある懐かしい声が。
「キタノさん、お久しぶり。やっぱり会えましたね」
 キタノさんは、相変わらずの風体で満面の笑みを浮かべていた。

『おまえ、なんだかずいぶん女ぶりがあがったよな。いや大人のいい女になった』
 キタノさんは感慨深げにわたしを見つめ、缶ビールを飲んでいた。
「まあ、相変わらずお上手ですこと」
『新しい彼氏も出来たようだな。そいつはなによりだ』
 ニヤリとまた吹き出していたわ。

「違うの。一緒に飲もうって、この子が声をかけてきたの。ナンパするならご飯くらいご馳走しなさいって言ったら、クッカー炊きをしたことないって言うじゃないの。もう信じられない。だからまず米の炊き方から教えてたの。女を覚えるのは百年早いわ」

 ナンパ男は、完全に浮いてしまったけど、キタノさんも入れて3人で食事にしたわ。

 男は、なにかに追われるようにせわしなく箸を動かしていた。キタノさんの焚き火台で焼けたお肉を時折つまみながら、よく噛みもせずご飯を飲み込んでしまったの。炊き立てのアツアツのご飯をそんな風に食べ方たら、絶対口の中を火傷するわ。

 そして・・・

「そっ、それでは、ぼくは失礼します」
『おい、にいちゃん、そんなこといわずに俺ともう少し飲もうぜえ』
 キタノさんの圧倒的な旅系の貫録に相当ビビっている様子だった。
「けっ、結構です」
 一応、キタノさんが引き止めたんだけど、男はアヒルのような無様な歩き方で、テントへ逃げてしまった。そして、テントのジッパーをきっちりと閉め、それっきり出てこなくなっちゃったわ。

 所詮、キタノ氏とハンチクなナンパ野郎とでは、男としての格が違いすぎたらしい。だって、百戦錬磨の旅人へ、どう背伸びしたったって敵いっこないもん。

 わたしはキタノさんへ
「キャンプに来てなんにも出来ないヤツって最低ね。自分が使った食器も洗わないで、そのまま帰っちゃうんだから。本当に情けない男だわ」
 と呆れながら呟いた。

 キタノさんは目が点になって、口にくわえた煙草を地面に落としていたわ。

 まったく、キタノさんも歳なんだから。もう、ヨッパになったの。しょうがないわねえ。

 あっ、それとわたしのこと「女キタノ」って呼ぶのやめてね。「星に願いを♪月に祈りを♪」世代のうら若き乙女なの。ヨッパライダーと一緒にされちゃあ、わたしの立つ瀬がないわ。ウフフ。

 わたしにとってのキャンプツーリングは・・・

 女のメロンだわ・・・

 じゃあね!

 バイバイ!




FIN



2005年12月吉日UP



北野一機 作



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