海流








仙台港フェリーターミナルにて



 さて、腹もつくったし、これからの行程は?

 みんなで相談の結果、宮城県の海沿いの国道をツーリングがてら南下し、仙台港フェリーターミナルまで突っ走る。そしてアズ氏は、今夜のフェリーで苫小牧へ向かい、我々も当地で散会ということでまとまった。

 さてギラギラとした暑さの中、出動だ。気合いを入れてアクセルを回し、走りだしたはいいが、3人一緒に道を間違えちまった。気を取り直してUターン。

 旧北上川の河口にかかる橋を渡った。しかし「旧って?」なんだか気になるぜ。つーことは「新」もあるのか。う〜、だんだん気になってたまらなくなってきた。俺は、こんなどうでもいいことでも、もがくように苦悩するヤツなんだ。くっ苦悩、太宰治のようだぜ(苦悩のレベルが違い過ぎるが)

 家に帰ってすぐに調べるとあったぜ。「新北上川」というより、今の北上川は気仙沼へ河口が存在していた。

 しかし暑い。北海道ツーリングでハチに刺されて以来、封印していたTシャツ走行をついにやっちまった。まあ、首筋にバンダナをきっちり巻けば虫の侵入は食い止められるだろう。

 「おくのほそ道」にも登場する漁港の街「石巻」、さらばだ。機会があればまたくるぜ!

 矢本町を過ぎ、鳴瀬町に突入した。相変わらずあちぃ。露出している腕が日焼でひりひりと痛む。このあたりはひたすら田園風景が広がっていた。まさに典型的な日本の農村だ。

 しかし、からだ全体に生ぬるい熱風がふきつけてきて気分が悪い。

 こういう感じをかつて経験したことがあるぞ。1999年夏の北海道ツーリングだった。あのときは、これ以上の熱さ、いや暑さだった。浦幌で36度を超え、なんとサロマ湖付近では40度を突破していた。あれに比べればまだよしとしよう。

 松島へ入った。

 ああ松島や。言わずと知れた日本三景のひとつ。俺自身何度も訪れている有名過ぎる観光地だ。しかしこれほどの好天に恵まれたことはない。昼間の松島ではいつも雨にやられていたような気がする。

 ピーカンの空に松島湾の中の230もの大小の島影が際立つ。実に見事な景色だ。海の色も蒼と表現するのが適切だろう。

 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中で、竜馬が初めて見る富士山へ痛く感動するシーンがある。 
 従者(寝待の藤兵衛)が竜馬へ質問した。
「旦那は、この眺めを見て何になりなりたいんですかい」
『日本一の男になりたい』
「旦那、そいつは気のせいですぜ」
『あたりまえだ。このことは、しばらくすれば忘れてしまうだろう』
『しかし、一瞬でもこの絶景を見て心の内がわくわくする人間とそうでない人間は違う』

 まあ、俺は竜さんのような大物じゃないが、観光地だって美しいものは美しいと思う感受性は当然持ち合わせている。そして、みんなと走った松島の思い出は忘れないぜ。

 松島を過ぎ塩釜に入った。

 塩釜。その歴史は古い。奈良時代後期多賀城に国府が置かれ、その外港として栄えてきた。塩釜という地名はその名の通り、塩をつくる釜があったかららしい。

 そして俺が北海道ツーリングでいつも利用する仙台港フェリーターミナルに到着。実は北海道が恋しくなると密かにフェリーを見るためだけの目的で子供と何度か来ていたりもする。さっそくアズ氏が乗船の予約をし、みんなで待合ロビーへ飛び込んだ。

 ギンギンにクーラーが効いていた。まさに地獄から天国へ一瞬で這い上がった気分だぜ。K茂氏は長椅子でバタンと倒れるように寝込んでしまった。俺は、IWA氏とアズ氏へ北海道ツーリング中のアホ話をしまくった。ふたりはゲラゲラと爆笑していたが、俺はどこへ行っても北の大地の話ばっかりだなあ。しかもこれから北海道へ帰るというふたりの前で。

 冷房の効いた待合ロビーから出たくないがタイムアウトだ。もう散会しないとそれぞれの今後の行動へ支障がでる。このままアズ氏とフェリーに乗って苫小牧へ逃亡したいという激しい衝動をようやく抑えて駐車場へ出た。

 最後にみんなで画像をとった。ちなみに俺のデジカメは昨夜壊しちまったので、記事の中で使っている画像は全部IWA氏やK茂氏が撮影したものばかりだ。今回は読み物にこだわるとかカッコよく冒頭で書いたが本当は自分の画像がないというのも理由のひとつだったりする。

 IWA氏は八戸まで引き返し、同港から苫小牧港行きのフェリーへ乗船するそうだ。K茂氏はもう少しまったりしてから東北道で川崎市へ帰宅とのこと。

 じゃあ、みんなお元気で。実に楽しかった。またいつの日か笑顔で再会しようぜ。

 夕焼け空に照らされた俺は、みんなに手を振られながらスロットルを回し、次なる野営地と旅立っていく。

 ・・・・・でストーリーが完結すればカッコいいのだが、東北自動車道を南下していた俺はどっと疲れがでてきた。もしや熱中症か?

 とりあえず菅生のSAに入り、冷たいものを飲みベンチで横になる。少しだけ、ウトウトするとかなり体調が回復してきた。俺の体は少し休めばすぐに体調が回復するというターミネーターみたいな特殊な構造をもっているらしい。

 そろそろ行くか。

 するとどこかで見たZZRがこっちに近づいてきた。そしてライダーが手を振っている。なんとさっき別れたばかりのK茂氏じゃねえか。まさに運命の再会だ。

 K茂氏としばし歓談し、ゼファーとZZRが並んだかたちで画像を撮ってもらう。しかし、これがK茂氏のZZR1100の勇姿を見る最後の瞬間になろうとは・・・

 車検に出したバイク屋で卑劣な盗難に遭ってしまった。まあ、バイクはバイク屋で弁償してもらえるそうだが彼の受けた心の傷は計り知れないと思う。本当にお見舞い申しあげます。

 K茂氏にもう一度別れを言い一足先にSAを後にする。

 思えば今回のキャンプツーリングはずっと海岸沿いを走破してきたような気がする。潮流の流れに逆らわず走っていたような旅だった。

 東日本の北と南から親潮と黒潮に乗った旅人たちが三陸のキャンプ場で合流する。そして皆、逆の海流へ乗り換えて家路へと帰っていく。

 暮れなずむ東北道はようやく気温が下がり、どこかに秋の気配が漂っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 時々想像するんですよ。人と人が知り合うまでの状況を。

 人工衛星から見ているような日本地図上に、光の点で人がいて、遠く離れた二つの点が、生まれてから全く共通点が無い動きをしていたのに、ある日奇跡のような軌跡を描いて同じ一点に重なる、なんて絵柄を。

 今、みんなそれぞれの生活で日本のあちこちでバラバラの軌跡を描いている点が、また重なる日を本当に楽しみにしてます!

                         K茂氏(談)




FIN




東北道菅生SAにて



記事 北野一機



ツーレポのトップ  HOME