北海道ツーリング2016前編















酷暑のスタート



 8月の初めぐらいまでは、それなりに仕事が詰まっており多忙な日々を送っていた。とはいえ、この夏もなんととか北海道ツーリングを決行しようと画策はしていた。

 まあなんとか都合をつけて、出発の午前中、パッキングを済ませる。あまりの荷物の多さに辟易していたので、これでも例年よりずいぶん荷物を減らした。

 14時、酷暑の福島市内をスタートする。しかし本当に暑すぎるとかぼやきながら、福島西ICから東北道に乗った。





 熱い・熱い・暑過ぎる・・・

 福島市内で37℃と電光掲示板で表示されていた。

 耐えられない暑さに国見SAに入る。先行の車2台に追尾してそれなりにエリア内を走っていた。しかし、ガードマンがいて2輪を別ルートに誘導していたようだった。筆者は、前車に気が入ってまったく気づかなかった。

「なんだよ。見てねえのかよ。馬鹿じゃねえのか」
 でっぷりと太った若い警備員が怒鳴りちらしていた。

 なんだ?筆者に言っているのか。昨今、年老いてきてあらゆる面で衰えてきているのだが、他人から悪口を言われるときだけ、異様に耳がよくなっていたりするキタノオヤジでした。

『おい、おまえ、今、なんといった。もう一遍聞かせてくれろや』
 思わず、マシンを停め、太った男に話しかけた。

 男はまさか自分の暴言が先方に聞こえているとはつゆ知らず驚愕してしまったようで固まった。

「いえ、あの、なんでもありません。どうぞそのままお進みください」
 すっかりトーンダウンしてしまい、小さい声で呟いた。

 暑いし、時間もエネルギーももったいないので、このあたりにして先に進む。

 売店でソフトクリームを頬張ったが凄い勢いで溶けだし液状化したクリームが手に絡みついて気持ち悪い。

 その後、東北道、南部道路、東部道路を乗り継ぎ、仙台港フェリーターミナルへと入った。このルートはもう数えきれないくらい走っている。目をつぶっていてもたどり着けるであろう?





 16時ぐらいに着いたのだけれどもパラパラとオートバイが停まっていた。最後尾にゼファーを着け、とりあえず乗船手続きを済ませた。そして、マシンの荷を解き、船内で使用するもののみをサブザックに詰め、パッキングをし直していた。

「あのう、キタノさんですよねえ。ホームページを拝見しています」
 筆者と同世代だろうか。少しお若いか?男性ライダーさんから声をかけられる。
『それはありがとうございます』
 ぼくは作業の手を止め、汗を拭きつつ答え”永久ライダー”ステッカーを手渡した。
「ありがとうございます」
 やや恐縮した様子だが、にっこりといい笑顔をされた。

 彼は、ゼファーイレブンを暫く感慨深く眺め、やがて自分のマシンの方に戻っていった。いい間合いがとれる方だ。

 たまに馴れ馴れしく声をかけてきたり、質問攻めにしたり、執拗に絡んでくる方もいるが、正直、そっとしておいていただきたい。

 中には、たまたま同宿になっただけの知らない老人ライダーに僕が話しかけなかったことに腹を立て、「永久ライダーから無視された」と巨大掲示板で幾度も匿名投稿されるなど気持ち悪い事件もあった。

 でもこの方は、謙虚というか他人の立場を重んじる良識的な人物だと思った。

『あれ〜』 
 乗船時間が近づき、ゼファーの脇で待機していると、ハーレー乗り小坊主さんと目が合った。

 こんなシーンが何年か前にもあった。彼とは5月の東小屋キャンプ場でのオフキャンでもご一緒していたりする。

「キタノさん発見の画像をフェイスブックにあげたいので1枚撮らせてください」
『別にいいけど、お手柔らかに』

 もうぼくはFBを止めてしまったので、確認はできない。ただ昨年、某FBで筆者が北海道ツーリング中、某所に立ち寄った記事がUPされたら、おふざけなんだろうけんど結構身も蓋もないコメントをする方々がいた。ナイーブなぼくはちょっと傷ついていたりした。

「今回は登山をしてみようかと思って」
『へえ〜どちらの山に』
「キタノさんには足元にも及ばないけど、ニセコアンヌプリを考えています」
『キャンプ場の登山口から山頂まで2時間ほどです』
「キタノさんは?」
『ぼくはちょっと足を痛めているので登れるかどうか。道具は持参していますが』

 なんて会話しているうちに乗船の合図が出た。ツーリングライダーが次々にスロープを駆け上がっていった。一時はライダーの数が激減していたが、近年はオートバイの数がずいぶん増えたと思う。ただし、平均年齢も倍増していたりする? 

 S寝台でザックを降ろし、スリッパに履き替えて早速大浴場へ向かい汗を流した。フェリーに乗ったらすぐに風呂に入るのが多くのライダーの鉄則だ。時間を置いたら混み合うし、面倒になってしまうし。

 そして、レストランで夕食バイキングにした。2千円かかるけど、ステーキはあるし、メニュー豊富だし。ただし、アルコールは有料だ。

 しかし、大ジョッキの生の味は至高である。 





 レストランには一人用のカウンター席あり。同じような単独の旅行者が食事を摂っていた。若い男性の食べっぷりは見てて気持ちがいい。17年ぐらい前はぼくもかなりの大食漢でバイキングでお代りをしまくっていたけど、今は浅く広くバランスよくちまちまと食べているオッサンになり果ててしまった。落ちぶれ感が漂う。

 途中から太平洋フェリーオリジナルワイン(赤)に切り替えた。やや辛口で個人的にお気に入りのワインなのだ。ちびりちびりとワインをなめながら遠ざかっていく仙台港の夜景に見入っていた。震災の時、あのあたりが激しい炎で燃え上がっていて愕然としたことを思い出す。





 ぼくとしてはずいぶん食べた。でも珍しくまだお腹にキャパシティーが残っていて、茶碗に盛られた小さなカレーライス、サラダ、スイカなどを最後に平らげる。

 すっかり満腹となり寝台へ戻った。まだ寝るには早いと思っていると今宵のラウンジショーの案内放送が入った。そういえばこれだけフェリーに乗船していながら、ラウンジショーを見たことがない気がする。行ってみるか。





今宵のラウンジショーは、”アベマリアコンサート”だ。

 桜谷清美(ソプラノ歌手) 平山晶子(ピアニスト)

 正式には”アヴェ・マリア”といい、聖母マリアへの祈りをあらわす。歌手の目の前で聴いたのは初めてだったけれど、素晴らしい慈愛に満ちた歌声にちょっと感動していたりした。

 コンサート終了後、寝台に戻り、浅田次郎の小説”赤猫異聞”を横になりながら読む。

 時は、明治元年暮。火の手の迫る伝馬町牢屋敷から解き放ちとなった訳ありの重罪人たち。「3人のうち1人でも戻らなければ戻った者も死罪、3人とも戻れば全員が無罪」との言葉を胸に、3人の向かう先は何処に・・・

 夢中になって浅田ワールドに浸っていたら夜更かしとなれりけり・・・





 早朝に目覚めたが、寝不足気味だ。それでもさっさと起き出し大浴場に向かう。この時間は多少ガスがかっているが好天になりそうだ。

 朝食バイキングでも無理なくそつなく食べた。食後、大好物のアイスコーヒーを飲みながら、何も決めてなかった今後のルートのことを考えていた。なんとなく南下しようかとも思ったが道南は天気がよくないらしい。

 寝台に戻り、ゴロゴロしていると下船の案内放送が入った。





 甲板でかなり待たされ、ようやく苫小牧に上陸した。北の大地もかなり暑い。汗を拭きながら、根本的にパッキングをし直した。

 そうだ、どこへ行くか決めてなかった。う〜ん、久々に内陸からいくか。

 照りつける日射しの中、R234を駆けているうちになぜか早来まで来てしまう。これではいかんということで山の中の道道を乗り継ぎ、二風谷に出た。ここからR237で北上した。ガソリンが尽きてきたので、街道沿いのスタンドにて給油する。

「福島からですか。どちらの方面に向かわれますか」
 従業員から訊かれた。
『はあ、とりあえず富良野方面かなあ』
「内陸部は暑さがきついですよ。特に富良野や旭川は暑いです」
 愛想のよいおにいさんは、屈託のない笑顔を見せていた。

 占冠の道の駅では村祭りのようなイベントを開催していて凄いにぎわいだった。多分、道内ライダーだと思うが、たくさんのオートバイが停まっていた。

 ここでお手洗いと水分補給を済ませた。熱中症対策は万全にしないと。午後の強い日射しが周囲に照りつけている。

 出店で購入したカットメロンを平らげ、ゼファーのスロットルをあげた。こんな暑さの中でも愛機は絶好調の噴きあがりだった。(まさか後日最悪の展開になるなどこの時は知るよしもない)

 金山峠をクリアし、山辺を通過して富良野に入った。時間的にかなり遅くなってはいたが、愛機ゼファーに跨った北のサムライは悠然と花人街道を北上していく。





 中富良野に入る。そして”サンタのヒゲ”の看板を見るとつい引き込まれるように入店してしまった。去年はメロンの上にメロンソフトを乗せた”サンタ・デ・メロン”だったので、今回は普通にバニラを乗せたやつにした。しかし、メロンの汁とソフトクリームの味の融合の素晴らしさよ。

 ところで今宵はどうしよう!

 星に手のとどく丘キャンプ場とかに少しだけ興味があるんだけれど、ここはやはり上富良野日の出公園オートキャンプ場にしてみるか。

 あれ?去年のこの時期この時間帯にも同じこと考えていた気がするなあ?

 歴史は繰り返す・・・





 日の出公園オートキャンプ場に入る。フリーサイトは500円と格安なわりにコインランドリー、シャワーなど施設が充実している。もちろんゴミ捨て場も完備だ。ただぞんがい中華系の言語が飛び交っていた。いよいよキャンプ場にも進出してきたか。凄いパワーだと思った。

 テントとタープをてきぱきと設営した。荷物の出し入れのために道路側に立てたのだが、ちょっと前過ぎてポールの張り綱が右曲がりのダンディになってしまい、カッコワルイ。





 テント設営後、愛機でフラヌイ温泉へ向かった。歩いてもそんなに時間をかけずに行ける距離なのだけれども少しでも楽をしたいものでのう。北のサムライも寄る年波には勝てぬものよ。

 フラヌイ温泉の宿泊者も中華系の方が何人かいた。台湾なのか大陸なのかは知るよしもないが、富良野や小樽などの観光地が特に人気があるらしい。

 オタル、いつでもフラノに帰って来い!

 おっ、おい〜

 ぬるめのいい湯に浸かってキャンプ場に戻った。

 ビールを飲み、おいなりさんを食べラジオを聴く。至福の時間だ。やがてウイスキーに切り替える頃になるとかなりヨッパになる。

 酔いつぶれる前にきちんと旅日記をつけておこう。なんせ老化が激しいキタノさんは、昨夜の夕食のメニューまで忘れる始末だ。

 夜になるとかなり涼しくなる。さすが北の大地だなんて思いながらシュラフに入った。



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