北海道ツーリング2011
きたの細道
菅生SAにて
6
終章(さらば料理長)
夜中に激しい豪雨にやられ、幕末の江戸から現代の洞爺湖に還ってきた記憶がある。周囲のあらゆるものがぬれていたが、またも早起きし、いつもの行程を済ませた。朝食は相変わらず納豆ご飯だ。これを食べると1日の調子がとてもよくなるのだ。 本日の行先は昨夜のうちに決めて置いた。久々に”かみふらの道楽館”だ。宿主のソットーさんには連絡済である。もう筆者も若くはないので、以前のように連続キャンプ1週間とか2週間とかはやりたくない。どこか合間に宿泊を入れ布団で寝ないと疲労が回復せぬのだ。 というわけで雨に打たれながらパッキングを済ませ、小雨の空のもとスロットルをあげた。 |
R453をひた走り、いつもの”きのこ王国”で休憩を入れた。お決まりの百円きのこ汁をすすり温まる。まさか北海道でセシウムとか気にする必要はあるまい。 しかし、ここはいつもお客さんで一杯だな。逆に隣の一億円のWCの道の駅は、閑古鳥が鳴いていた。 |
きのこ王国を出発し、支笏湖を横切る。相変わらずひっそりと美しい湖だ。飾り気がないのもまたいい。ちなみに筆者の異性の好きなタイプを語っているわけではないことを付記しておく。 道道16で千歳へ向かう。この道を通過するのも久しぶりだ。途中、名水ふれあい公園があったが今回はパスした。けど、本当にここの水は美味しいので、時間のある方は是非、お立ち寄りいただきたい。 千歳の街中を横切り、追分を抜け、夕張に入る。この辺で、雨が激しくなってきたので雨具に着替えた。 そして大夕張からR452に入る。ここから芦別までは民家皆無の寂しい道が延々と続いた。雨に打たれながらひた走るのであるが、これが北海道ツーリングをしてるなあと実感する瞬間だったりもする。 野を越え、山を越え、トンネルを抜け、橋を渡り、もの凄い長い間休憩なしで走り続けた気がする。ようやく芦別から富良野方面R38へ右折した。なんとか雨もあがったので、布部あたりで雨具を脱いだ。 怯まず富良野市内を抜け、中富良野も抜け、ようやく上富良野へ入る。若い頃から、どんどん1日の走行距離が減ってきている筆者だが、本日はかなり走った気がする。 |
というわけで自分へのご褒美。サンタのヒゲで4分の1カットを賞味した。メロンとソフトクリームって本当にベストマッチである。メロンがよく冷えていて果実が甘い。ソフトクリームも味が濃くて美味しいのう。 2分の1カットというのが主流だけど、今の筆者なら、このサイズで充分OK牧場だ。 |
道楽館到着。 震災や原発事故などで、いろいろ心配してくれていたソットーさんは筆者の手を握り、とにかく無事でなによりと心から喜んでくれた。 キャンプ仲間のくっしーさんも偶然ながら再会できた。その他、初対面の皆さんとも大いに盛り上がる。 |
どうでしょう、この料理。まるでホテルのディナーだった。 料理とお喋りとお酒を楽しみ、そろそろオヒラキかという時間にキャンプ仲間のNagaさんから筆者の携帯に電話があった。 「今、どこ?」 『おう、カミフの道楽館だよ』 「北海道、いけたんだ。実はmacさんが通勤帰りにバイクの事故で他界されました」 嘘だろ。先日、都賀で一緒にキャンプしたばかりだし、北関東自動車道でも手を振って別れたんだ。それに何度も一緒に走ったけど、事故るような運転をする方じゃない。もう、頭の中が真っ白になる。 『とにかく今はなにもいえないけど、後で落ち着いたらメールするからね』 なんとか応え、電話を切った。 感情量の多過ぎる筆者の心は完全に折れた・・・ え?なにこのあり得ない事態?展開? 同じキャンプ仲間のくっしーさんも絶句していた。 またmacさん夫妻は、道楽館へ毎年やってくる常連さんである。今年も9月には宿泊予定だったので、ソットーさんもかなり衝撃を受けている様子だった。 本州に帰ろう。 非常に重大な事態に陥ったと思う。 EOCの父というべき存在、会の重鎮を失ってしまったのだ・・・ というわけで、ここで筆者個人の今後のツーリングのスケジュールをきっぱりと断念した。あと10日あった日程だけど、1日も早く本州に帰り、大変お世話になったmacさんに最後のお別れをしないと。 北海道ツーリングなどいつでも再開できる。現に筆者は仕事の都合で2年も我慢した。なんだか酔いが、一気に冷めてしまう。具体的な行動は明朝に考えることにし、無理矢理布団に入った。 東日本大震災では、mac氏夫妻より被災地福島在住の筆者を心から心配していただき、食糧や燃料の支援の申し出を真っ先に頂戴した。「なんて親切な方なのでしょう。立派なお友だちに恵まれてよかったね」と妻が驚き、そしていたく感動していた事実もつい数か月前の出来事である。 信じられない。いや絶対に信じたくないと思いつつもこの不条理に打ちのめされ、熱いものがとめどもなくこみあげて来る。やがて、いつの間にか寝入っていた。 |
翌日の道楽館の朝食だ。新鮮野菜たっぷりの冷たいお茶漬けがとても食欲をそそる。 中華粥も美味しいけど、別の意味で新たな食感を味わうことができた。 というわけで、3日後には再会するくっしーさんと別れ、ソットーさんにお礼をいいつつ、急遽、苫小牧に向け出発する。 |
途中、携帯から19日の函館発の津軽海峡フェリーの予約をキャンセルした。そして、奇跡的にとれたのが11日の太平洋フェリー2等だ。寝像が悪い筆者が、苦手なのが2等雑魚寝である。昔は、船首とかに展望ロビーなるものが実在し、いくらでも秘密の寝場所を確保できたものだが、昨今は皆無だ。とりあえず、受付を済ましたらキャンセル待ちで寝台を狙おうと決めた。 陽射しが照りつける中、日高国道を太平洋岸に突き進んだ。夕べは、道楽館のふかふかの布団で爆睡したから体力は温存してある。 どのくらいスロットルを握り続けたろう、ようやく懐かしき苫小牧へ到達する。やっぱり筆者の北海道への出入り口は苫小牧が一番似合う。 市場に併設のマルトマ食堂で遅い昼食をとろうとしたが、凄い行列で断念した。近年、異様な混雑ぶりだと思う。 すると、 「キタノさんですよね」 筆者よりひとまわりぐらい若い世代?のツーリングライダーがにやにやしながら近づいてきていきなり声をかけてきた。 「これから旅ですか?」 屈託がなく、やたら明るい。え?誰なんだろう? 『仲間が事故で亡くなったので、すべての日程をキャンセルして帰宅するところなんです』 少し複雑な感じもしたが、見ず知らずのライダーに事情を説明した。 なんで赤の他人にこんなに悲しい出来事を説明せねばならぬのか?自分が同じことをされたらどうなのか?『初めまして』という最低限の旅人の仁義がなぜ切れぬのか?北海道ツーリングでは対向車にピースサインを強要するような奴がいるようだが(いつからこうなった?)、それより『初めまして』じゃないのか?旅人というより、人としてどんなものなのか?あり得ないと思う。本当は、かなりムッとしていた。 彼は、K氏といい、同じ福島県からご夫婦で北海道ツーリングを楽しまれたそうな。 後日、”ご友人の件をお聞きして、自分のデリカシーの無さを恥ずかしく思い反省しています。いずれ、EOCにも参加させていただこうと思っていました”という旨のメールをK氏より頂いた。 しかし、料理長亡き後のEOCなど考えられない。いや考えたくない。 |
マルトマ食堂での昼食がかなわなかったので、近くの食堂街でキンキ定食を食べた。キンキ(別名メンメ)か。雨ばっかりの夏に釧路の居酒屋で食べて以来、もう、10年ぶりになると思われる。 できれば本場の釧路か根室で食したかったというのが本音なのだが贅沢はいうまい。 来年は、道東までじっくりと旅してみよう。 |
夕刻、フェリーに乗船した。 すぐにエントランスにて、AまたはB寝台へのキャンセル待ちを申し込む。暫しソファーでくつろぎながら待つと放送で呼び出され、A寝台への変更が可能になったと告げられる。これで安堵して寝られると筆者は胸をなでおろした。 船内で再会したK氏夫妻とももっと話して置くべきなのだろうが、今宵は船に揺られながら、ひとりになりたかった。誰からも話しかけられたくない。とにかく、そっとしておいて欲しい。 ただ、どんなに苦しくても哀しくても旅の継続、キャンプの決行が北のサムライへ与えられた使命なのである。 最後に北の旅が頓挫したわけではない。もともとこの夏のツーリングの当初の予定では、北海道に渡るつもりもなかった。大間あたりで引き上げようとかうっすらと考えていたふしがある。 また筆者は、短い期間ながら酷暑の北東北から道央にかけて存分に駆けまわったと思う。東北の日本海側をきちんとキャンプツーリングしたのは生涯初だ。これらの軌跡が、2011年夏の詳細な北のサムライの旅の記録であると捉えていただけるとありがたい。 そう願いつつ、筆を置こう。 |