EOC楢葉2007春
2007年4月14日〜15日
福島県双葉郡楢葉町「天神岬キャンプ場」にて
EOCの日がやってきた。天気が心配されていたがどうにか持ちそうな感じで時折、陽が照りだしている。さて今宵の俺の料理は如何いたそう。少し、思案したが思い浮かばない。結局、近くのスーパーまで妻につき合ってもらい、ワンパターンのチゲ鍋にすることになった。 ところが・・・ 季節は春である。冬の鍋であるチゲの素が売ってない。 『どうしよう?』 俺がぼやくと、 「これなんて、いいんじゃない」 妻はゴマ鍋の素の入った瓶を手にとった。 『ゴマ鍋?』 「具も作り方もチゲ鍋と一緒で簡単よ。肉と野菜を煮込んで、これを入れればできるんだから」 『マジ?じゃあ、そっ、そのゴマ鍋にしてみるか』 家に戻って莫大な荷物をパッキングした。焚き火台や炭を積むと本当に重い。ヨタヨタと愛機ゼファーが走りだす。 阿武隈高原を越え、久々に太平洋側へと向かう。途中、花見シーズン真っ只中のせいか、あちこちで渋滞しており、思ったより会場の楢葉天神岬キャンプ場までは時間を要してしまった。 昨年のこの時期は、EOCで貸切状態だったのだが、今回は他にも2団体ほどキャンプライダーの集いがあるらしく、会場はなんとなく活況を呈していた。 既にmacさん、やまちゃん、まぁさんご夫妻、旅団Genさん、イトウさん、ムッチーさんたちが到着しており、テントも設営されていた。 『どうも皆さん、お久しぶり』 挨拶を交わし、俺もテントを張ることに・・・ なんだか面倒くさいな。俺の新しいテント(トレイルトリッパー2)は、エアライズやトレックライズに比べ設営に手間がかかりそうだし。まずはビールでも飲んで、少し酔ってから張ることにしよう(それが後刻、余計面倒なことに) さてデジカメで画像でも撮ろうと思いきや電池切れ。シーズン初めはなんともビギナーなミスというかトラブルが多い。まぁさんから、電源の場所を教えてもらい、とにかく充電を始めた。ということで以下の画像は、まぁさんより頂戴したものばかりである。ありがとうございました。まぁさんの画像あったからこそヨッパな記憶の断片を推理しながら記事が書けたと思う。画像なしでは、とてもじゃないけどUPは不可能でした。 やがて、シンちゃん、くっしーさん、ロストさん、いちさん、ボンさんと続々とキャンプ場入り。大取りでSONOさん登場。今夜の役者が揃ったようだ。今宵のEOC参戦者は14名である。 尚、今回のEOC初参戦者は”いち”さん、”ボン”さん。”SONO”さんの3名である。いちさんとは以前から某オフで面識があり、ブログ”北のサムライ雑感”の常連さんとしても馴染みが深い。ボンさんは、いちさんの友人で宮城県山元町(参戦者では、このキャンプ場から一番近い)よりお越しだ。娘さん思いの朴訥で温厚なおとうさんである。千葉のSONOさんは、くっしーさんのお仲間で、この夏、久々に北海道ツーリングを復活させるとのこと。EOCは、その前哨戦といったところかな?明朗で真面目な感じの方だ。 初めまして!ようこそエロオヤジ・キャンプへ・・・ もとい、北の大地を溺愛する真のキャンプライダーの祭典、永久ライダー・オフ(EOC)の世界へようこそ。 「キタノさんって、凄く怖い方だと思っていました。でもお会いしてみると全然違いますね」 ボンさんが、俺の顔を見ながらにこにこしている。 『いや、俺はなんの取り柄もない冴えない野郎なんですよ』 しかし、こういう普通のイメージが後刻、ヨッパライダーに変身して音を立てて崩れていく予感がして俺自身怖い。できるだけ酔ってもジェントルでいようと飲む前はいつも謙虚に思うのだが・・・ やがて参戦者の皆さんが焚き火台数機を囲むように車座になり、乾杯と共に宴が始まった。静かな会の始まりである。まさに”嵐の前の静けさ”。 アルコールがほどよい潤滑油となり、次第に会話が盛り上がってくる。まずイジラレキャラのやまちゃんが、2年前の夏の道楽館にて初対面のともさん夫妻にベロンベロンになって絡んだ事件を俺が一部再現シーンを交えて語り出すと大爆笑となる。 「違いますよ。ぼくはそんなことは言ってません。キタノさんのツーレポに書かれているのが会社の人にばれて大変だったんですから」 一応、本人は否定しているが、この事件は俺にとっての最強のやまちゃんネタである。 |
風が強かった。急速に気温が低下してきた頃、総料理長のmacさんが、ダッチオーブン鍋を取り出して肉やら野菜やらを調理し始めた。なんとも香ばしい匂いが周囲に漂ってきた。しかし、ダッチオーブンその他莫大な荷物をBMに搭載させ、さいたまからやってくるmacさんのパッキング技術は秀逸としかいいようがない。 |
くっしーさんは、今回ダッチオーブンを断念し、焼き物に専念していた。肉とネギを金串に丁寧に刺して炭火で炙ってご馳走してくれた。多分、性格的なものだと思われるが、調理している姿がとても几帳面でいい仕事してますなあという感じだった。去年の夏に偶然EOC関連諸氏と”かみふらの道楽館”にて知り合い、すっかり意気投合し、現在はEOCでも欠かせない主要なレギュラーとなられている人物だ。とても昨年秋のEOCがキャンプデビューとは思えない。 |
まぁさん夫妻もユニセラのCGmini(俺も以前使用していた)で乾物などを炙って、ふるまってくれている。若手のホープ、シンちゃんからはカツオのタタキを提供していただいた。続いてロストさんのジンギスカン。いちさんのお肉。とにかく皆さんが持参された料理で腹一杯。俺のゴマ鍋は明日の朝食用でもう充分だろう。酒もガブガブと飲む。とにかく男塾、男祭りの様相を呈してきている。ただ紅一点、まぁさんの奥さんがいらっしゃるので、あまりエロオヤジになってはとこの段階ではまだ自戒していた(笑) |
「キタノさん、そろそろテントを張った方がいいですよ」 やまちゃんがベロベロに酔いながら俺に進言した。 『もう、面倒だからやまちゃんのテントに泊めてくれ』 「嫌ですよ」 『じゃあ、やまちゃんがテントを張ってくれ』 俺も無茶苦茶なことを言い始めたら、 「手伝いましょう」 いちさんとボンさんが快く手を貸してくれた。しかし、暗いし、慣れない形式のテントだしで悪戦苦闘。 |
画像提供:いちさん |
しかも新調したヘッドライトも忘れてきてるし。それでもどうにかおふたりの協力で、トレイルトリッパー2を設営できた。 ヘッドライトの代わりにいちさんは、LEDランタンを取り出した。軽量コンパクトで素晴らしい光度だ。なんと自作されたとのこと。それをキタノは頂戴してしまいました。ただし便利帳さんのキャンプの達人というコンテンツにいちさんのLEDランタンの投稿があるので、そこに使用者のコメントをするという条件で(投稿が近年なぜか苦手なのでびびる) |
次々と料理が仕上がってくる。 初期の頃のオフキャンプでは、手ぶらでフラリとやって来た男が散々飲み喰いした挙句、 「貧乏旅なので助かった」 などと自らのHPで公言する、ほとんどEOCへのタカリも存在した。人の金で飲み喰いして美味しいかね?EOCの汚点である。学生などの若者なら許されるが、ある程度の年齢を過ぎた社会人とはとても思えないセリフに憤怒やるせない気持ちを抱いたことがあった。 EOCには会費はないし規約もない。けど誰もが暮らしは楽じゃないだろう。皆、北海道ツーリングの雰囲気に触れたいがために、ほんの僅かでもと身を切るような思いで食材を持ち寄って運営している会なのだ。 他所様の厚意にタカるほど貧しいのなら、始めから旅などしない方がいい。優先順位が違う。ロングな旅ができる余裕などがあるのならば、まずは家族を養う経費の方へまわすべきだと思う。一般社会人の旅は飽くまで趣味の領域である。 時が過ぎ、流石にそういう寄生虫的な人種を寄せつけない、寄りつけない雰囲気のオフキャンになってきた。つまりEOCでは集う旅人も正しく精選されてきたと思う。みんな、真摯な旅人ばかりだ。差し入れも余りが出るぐらい、たくさん頂戴できるようになり、逆に恐縮ながら華美になり過ぎないようにと自粛を促すほどになった次第である。 本当にありがたいことです・・・ やまちゃん自家製の珈琲酎もスイスイ飲んで、ほとんどヨッパライダー、エロオヤジモードに変身してきたようだ。時間の感覚もなく撃沈しないのが不思議なくらいである。 その頃・・・ やまちゃんの携帯に厚木のともさんから連絡があった。 「やまちゃん、EOC、盛り上がってる?」 待望のお子さんが誕生したばかりのともさんは、今回のEOC参戦を断念していたのだ。でも本当はキャンプ会に参加したかったのかも知れない。いやEOCを誰よりも愛す彼のことだ。参戦したくてうずうずしながらTELしてきたに違いない。 ちなみにともさんは、昨年のEOC美流渡の宴の真っ最中に奥様ご懐妊の事実を知った。まさに娘さんは、EOCの申し子といっても過言ではない。というわけで”ミルト”ちゃんと命名される(これは嘘です) 「盛り上がってますよ。今、キタノさんに代わりますね」 俺は、やまちゃんから携帯を手渡された。 ここで、今回の参戦は無理だったと思うけど次回は待ってるねとか優しく言えば硬派キタノの男はあがったと思うのだが、 『いやあ〜キャンプは最高だね。ホント最高だよ』 俺は思いきりイヤミなことをいって、ともさんを超がっかりさせてしまうのであった。 「次回は必ず参戦しますからね。7月に裏磐梯でEOCを企画してくださいよ」 ともさんは、ほとんど呆れながら呟いていた。 「タンデムシートは指定席の真相を聞かせてくださいよ」 誰かが訊いてきた。やはり俺のネット小説のことを本当は知りたい方が多かったのね。 「EOCを前にタンデムシートを読んだばかりだけどストレートでいい読み物だったよ」 macさんが、助け舟を出してくれた。 『もとになる話はあるけど、あんなに劇的な展開じゃありませんよ。だからフィクション小説なんです。背景には確かに自らの恋愛体験を描写している場面はあるけど、ストーリーとは無関係だし、それをネットで言っちゃ野暮でしょ。誰だって、若い頃にひとつやふたつぐらいは身を焦がすような体験をしていると思うし』 なんて俺は軽くはぐらかした記憶があるが定かではない。 若い頃の俺は詰襟の学生服がキリッと似合う爽やか系の好青年だったかも知れない。多少は女に騒がれたし、泣かせたこともあるかも知れない。女房に詐欺といわれたことも内緒だ。でも、これだけ酔うとなにもかもが遠くなった過去の記憶など思い出すのも億劫になってしまう。つまり昔の話だ。それより今現在の俺は、ヨッパライダーのエロオヤジモードになっているのは間違いあるまい。逆の意味で、女性に騒がれそう? とにかくプライベートな過去の女性関係の真偽のことなんざ、ネット上で他人に軽々しく語ることじゃないし、へらへらと訊くもんじゃない。言いたくないことだって、いろいろあるだろう。ネットで、気持ちの萎える同じような質問を何度もされ、本当に辟易してしまったのは事実だ。まあ、渦中のネット小説に関しては、一途な青年の哀しい純愛物語、飽くまで小説の範疇で留めてやるのが粋なはからいではなかろうか。 ところで俺自身は他人の過去になんの興味も湧かない。昔から、いや正確には横浜で暮らしていた頃から、人は人という考えが身についてしまった。もちろん困っている人を見ぬふりをするような考え方ではなく、それ以外の知らなくてもいい個人的な部分などに関心がまったくない。自分のことだけで精一杯なのだ。山行も集団よりも自分のペースで登れる単独行が本当は好きである。ロングツーリングももちろんソロがいい。柔道や空手も選手時代は一生懸命努力したが、指導者としてはどうもしっくり来なかった。 こういう性格だからこそ、北海道ツーリング独特の旅人や底抜けに親切な地元の方々との交流の世界へ逆にカルチャーショックを受け、どっぷりと旅系の世界にハマったのかも知れない? つうか近年とみにキタノの個人主義に拍車がかかり、他のサイトのBBSへの投稿も苦手になってしまった。しかし、これではいくらなんでもまずいと思いネット引き篭もりから立ち直る試みはしているのだが、あまり成果はでていない。就中、一番心配なことは人嫌いで誰にも迎合できなくなり、現実の旅でも完全に一匹狼と化してしまうことだ。なんと言っても旅の醍醐味はやはり交流以外にないと確信しているのでなんとかしないと・・・ ただ、メールでキタノに人生相談するのだけはやめてくれ。俺は細木数子ではない。どうして、そうなるのか俺にはまったく理解できない。日々迷走を続ける俺は見知らぬ人から相談を受けるほど人間ができてないし、逆にこっちが相談にのって欲しいぐらいだ。 とにかくふにゃふにゃに酔っている。 その刹那、奇跡が起きた・・・ 「大変です。キタノさんを訪ねて妙齢の女性陣がやってきました」 『なんですと!俺を訪ねて若い女が来ただと?そんなサプライズな展開など”EOC男祭り”ではあり得ねえよ、ウィッ!』 俺は、軽いアメリカンジョークだと思っていた。 ところが・・・ 「キタノさん、お久しぶりです」 ギョッ、本当に若い女性だ。夢じゃないだろうか? 『・・・・・・・・』 暫し、絶句! 「ホームページを見て来たんだけど、間違えて他のグループへ行ってしまったわ」 『おっ、おまえら、わざわざ来てくれたのか。本当に会いたかったぞ』 以前、このあたりの職場で勤務していた頃の俺の元直属の部下、ヨッパな俺の裏も表も知り尽くしているし、アホオヤジの俺がいつも面倒ばかりかけていた包容力があり優秀な女性陣だ。どっちが上司かわからないし、どれだけ彼女に助けられてきたことか。 多分、俺は本当に泣けたと思う・・・(TT) かなり感動の再会だったらしく、周囲で見ていた皆さんも微笑ましいという表情で見守ってくれていた・・・らしい。 |
娘たちよ、元気そうでなにより。差し入れもありがとう。 だが俺の記憶はほとんど尽きていたけど・・・ 俺はかつて彼女たちと過ごした職場が一番好きだった。皆で支えあって他人を姑息な手段で蹴落とす人間など皆無だった。 その後の俺は、人の世の理不尽な場面ばかりを目のあたりにして日常に負けそうだった。 |
でもきみらといた世界は誰もが強い信頼関係で成り立っており、本当に素直で素敵な人間ばかりで、とても居心地がよかった。あれからもう5年も経つか。 でもやっぱり、俺は既にヨッパライダー全開と化しているただのエロオヤジだったろう。 今度は、俺がエロに変身する前、本来の硬派キタノである、もっと早い時間においでくだされ(笑) |
彼女たちが、帰った後も宴は延々と続いていく。もう完全に記憶がとんでいる。最後にシンちゃんとさしで飲んだらしい。今となっては、どんな会話だったのか知るよしもない。 やっぱりEOCって、筋書きのないドラマだと思う。かなり濃い、濃過ぎる。 気づいたらテントの中でシュラフにも入らず俺の体は転がっていた。完全に二日酔いで頭が痛い。 |
テントから、ようやく這い出したが、昨夜の俺の顛末はどうなってしまったの? 全然、覚えていない。どうやら、なんとか撃沈だけは免れたようだ。既に何名かの人が起きだして、火を熾していた。 陽光がキャンプ場を照らしていたが、かなり肌寒い感じがした。 |
俺は寝ぼけ眼をこすりながら、ゴマ鍋を仕上げた。しかし、誰もが二日酔いの壊滅状態らしく、朝からおもそうな鍋料理の売れ行きは今ひとつ悪かった。 誰かが持参したホタテもmacさんがバターで炒めていた。まぁさんご夫妻もホットサンドをふるまっている。朝から充実した食事で本当に満腹になった。ご馳走様でした。 |
「昨夜は珍しく賑やかなEOCになったね」 最年長でEOC常連のロストさんが、にこにこしながら集合写真を撮ろうと提案した。いつも早出で温厚な人柄のロスト先輩がそのように進言されるのはとても珍しいことである。 もちろん賛同し、俺は三脚を用意した。ところが画像を撮影するもなかなか上手くいかない。数枚目にようやく納得のいく画像を撮れた。 その後、皆さん次々と旅立っていく。 EOCは野の宴での交流のみが目的なので、会が終われば誰もが思い思いの方角へと遊牧民族の如く移動してゆくだけなのだ。次なる旅路を求めて。 残ったmacさん、まぁさん夫妻、シンちゃんとで天神岬温泉しおかぜ荘でゆっくりとお風呂に浸かった。しかし、ここで俺は体の変調に気づく。もの凄い寒気に襲われ、いくら湯に入っても体が暖まらないのだ。 いつの間にか、雲が多くなり、かなり肌寒い陽気となっていた。 ふらふらしながら駐車場で出発される皆さんを見送る。本当にお世話になりありがとうございました。また再会できる日を楽しみにしています。 最後に俺自身も出発するが、長時間の寒気との戦いだった。ようやく自宅に到着するも荷を解かず、ファンヒーターの前に座り込み、ぶるぶると震えていた。熱を計るとなんと39℃もあるし。そのまま寝込んで翌日は仕事を休んでしまった(ヨワ) インフルエンザかと思い医者にいくと肺炎の一歩手前だったそうな。 酔い過ぎて、シュラフに入らないで寝たのが敗因だと思う。 次回は真夏でもシュラフに潜ろうと深い決意をしたキタノであった。 |
*この記事は作者の記憶があまりにも不鮮明のため一部事実をもとにしたフィクションかも?
画像提供:まぁさん
FIN
記事 北野一機
HOME