2004.12.22 〜 2005.1.3



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初日の出



『寝過ごしたか』
 元旦初日の出を見過ごした気がして、ハッとしながらベッドから飛び起き、外へ出た。
 なんとかギリギリセーフという感じでお上富良野の初日の出を撮影。素晴らしい陽光だがあまりの寒さで、撮影と同時に館内へ舞い戻る。

「あけましておめでとう」
 ソットーさんがお雑煮を運んできた。モチは「ひつじの詩」のなおさんがつくったものらしい。ハフハフしながらいただいたが、具が汁にほどよく馴染んで実に美味い。 
「元旦だし飲もうか」
 ソットーさんの一言。
『そうですね。正月だからいっか』
 俺ももちろん同意。

 始めは生ビールをガブガブ。続いて焼酎をスイスイ。朝っぱらから飲みまくり・・・(おい!)

 その結果?



 ここからは画像を見ての想像・・・つまり創作系の世界です。

 どうやら俺はソットーさんにカンジキを履かせてもらったらしい。

「流氷とけて春風吹いて♪ハナナス揺れる宗谷の岬♪」
 多分、俺の体もグラグラに揺れていたろう?
「蛍、いつでも富良野に帰って来い」
 突如、ソットーさんが五郎になって雪原を走り出した。

 しかし、冷静に画像を見ると元旦の上富良野は雲ひとつない晴天だった・・・ようだ。
「蛍でーす」
 なおさんも登場。

 彼女の表情が、とても可愛らしい。
 そして、いつの間にやら夜になったとさ。

 おっ、俺の2005年元旦の日中の記憶が空白だ。それほど飲んで飲んで飲みまくった・・・ようだ。

 夜の記憶は多少あるが、夜は夜でまたガブガブとアルコールを補給し、またまた酩酊。

 しかし、よく急性アルコール中毒にならなかったもんだ。  
 いつの間にか元旦から撃沈・・・

 いくら北野でも、これだけ記憶がないとまったく文章の描きようがございません。恐るべきアルコホールの威力。

 翌朝・・・

『元旦ってあったの?』
 ヨッパライダーキタノは朦朧とする意識のなか目覚めるのであった。

 ボーっとしながら外に出るとなおさんが雪かきをしていた。
「今日、帰るんでしょう。ライラックで札幌に向かって岩見沢で乗り換えるのが一番苫小牧に近いし、安いよ」
 彼女はにこにこしながら、アドバイスしてくれた。

 朝食を食べソットーさんに精算してもらっている最中、ふと思った。なんだか仕事や日常のモロモロで溜まったストレスが、この旅と道楽館でのアルコールによって全部流れ出てしまったようだ。さらに後半は冬の北の大地へ完全に同化していた。

 ソットーさんに上富の駅まで送ってもらった。このまま道内に残りたいが、俺には本州に帰って果たさなければならない責任がある。その責任も北海道の旅の存在があるから耐えられるのかも知れない。

 ソットーさんには、いろいろなところへ案内していただくなど語り尽くせないほどお世話になった。毎晩、飲み明かした想い出は本当に忘れ得ぬ日々だった。

 なおさんへは、帰る前にきちんとお礼を言いたかったのだが、つい言いそびれてしまった。失礼しました。「ひつじの詩」の客でもないのにいろいろご馳走になったり、連日連夜ヨッパライダーキタノの酒の相手をしてもらったりと本当に感謝している。

 たまたま同宿になり、意気投合したtettさんやとしさんたちとも楽しい想い出がたくさんできた(特にスノモ体験や橙やのラーメンで)

 IWAさん、AOさん、アズさんも突然札幌入りした俺を歓待してくれ、本当に有難かった。

 この旅のストーリーには登場しなかったが、冬の北海道についての情報提供をいただいた混浴ライダーことミヤタ氏にも御礼申しあげたい。

 ラッシャーは、この時点でまだ冬の北海道キャンプツーリングを継続していたが、後日、過酷な旅の日々から無事生還。お疲れさん。本当によくやった。

 いろいろな旅の出来事を振り返るうちに苫小牧港フェリーターミナルへ到着した。                       
『混んでんなあ』
 夏と変わらないくらい待合室は混雑していた。

 乗船手続きを済ませ客室に向かった。寝相の悪い俺はとても「畳」縦に半分のスペースで快眠する自信がない。というか両脇のお客に迷惑をかけるだろう。

 そこで展望ラウンジのソファーをネグラにすることにした。ここなら落ち着いて寝れる。
 ラウンジでウイスキーをチビリチビリと飲んでいると携帯が鳴った。誰だろう?
「キタノさん?○市のKでございます」
『おう、これはこれは。どうされましたか?』
「今、フェリーターミナルの待合室からなんですが」
 え?わざわざ○市から見送りに来てくれたの?

 いや〜恐縮ですというか申しわけない。とにかく待合室に行きますと言って携帯を切った。フェリーから待合室までのタラップが異様に長く感じた。

 ようやく入口に辿り着くとすぐに分かり、俺は手を振った。

 K氏は真冬装備の俺を見て思わず”熊”を連想したそうだ。
『いやあ、わざわざすいませんねえ』
「いえいえ、これは土産です」
 道産のジンギスカンと北海道限定、豊富牛乳使用の「クラシックモカブレンドコーヒー」を手渡された。お土産まで頂戴するとは重ね重ね本当に申し訳ない。深く礼を言った。

「今回は車は使わなかったのですか」
『ええ、雪道にいまいち自信がないもんで』
「確かに怖いですね。こないだ隣に妻を乗せてグルッて前後一回転しましたよ。まあ、対向車もなかったんで、幸い被害はありませんでした」
『マジで?』
 やはり今回はJRにして正解だったか。道内の人ですら、こんな目に遭うんだから。どうも俺はオートマに乗るようになってから凍結路が凄く苦手になった。マニュアルのときは気にならなかったのだが。

 さてそろそろ時間だ。船内に戻らないと。別れ際にK氏が手を差し出した。
『じゃあ、また』
 ガッチリと握手を交わして別れた。

 K氏、お土産と見送り本当にありがとうございました。



 出航の銅鑼が船内に鳴り響き、エンジンの轟音とともにフェリーが動き出した。

 なぜ今回、冬の北海道へこだわったのか?

 最初に書いたが札幌、小樽、ニセコなど冬の北海道は過去に何度か旅したことがある。しかし、俺の夏の北海道のツーリングのベースである道東の冬はまだ未体験ゾーンだった。夏、さんざん走った道東の道は冬にはどうなってしまうのか。夏の北海道ツーリングの語りべとしてしっかりと道東の冬の厳しさを確認しておきたかった。夏を語るなら冬も知ってこそ説得力が生まれるとかねてから考えていた。俺だけの旅の矜持だけど。

 厳しい冬があるから、楽しい夏がやって来る。

 もちろん本格的な冬の北海道の厳しさは、この時期以降になるだろう。俺の見たもの体験したものは、そのほんの一端にしか過ぎない。

 また、ライダーにとっては、暖かく(冷夏も多いけど)愛機でキャンプ旅ができる夏の北海道ツーリングの方がおもしろいに決まっている。

 されど厳冬期の北海道、

 今回も痛切に感じたことは、

 まるで里帰りしたかのように自然なカタチで受け入れてもらえた。

 北の大地の懐の深さは計り知れず、北の人々の心はどこまでも暖かだった。

 ということで、キタノの北の旅は、たとえバイクに乗ってなくても鮮烈なストーリーになるらしい。

 つまり卵を炒めたような旅だ。

 それじゃあ、鮮烈ではなくオムレツなストーリーだろうが?



FIN



記事 北野一機



2005年3月吉日UP



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