第11話



新たなる旅



 苫小牧の市街でカレーを食べたのが早い時間だったせいか、21時ぐらいになると小腹がすいてきた。そこで、軽食コーナーでエビピラフをオーダーする。ぼくは、チャーハンももちろんなのだが、ピラフのような炒めものが好物なのだ。暫し待つとビジャビジャなピラフが運ばれてきた。うっ、こりゃ、金とって客に食べさせるモノじゃないと思ったけど、黙って完食した。

 B寝台の船室に戻り、横たわりながら本を読んでいるうちにいつのまにか寝てしまう。夜中に寒くて一度起きたけど、しっかりと毛布にくるまり、今度は快眠。

 5時ぐらいには起床し、浴場に向かう。日の出には、まだまだ早く窓の外から黒い波のうねりが不気味に浮かんで見えた。

 さっぱりした後、ロビーで本を読んだり、TVニュースなどを見ていた。

 その頃、ようやく朝陽が登り始めたが、水平線に浮かぶ雲が邪魔をして、なかなか陽が射してこない。ぼくは、日の出の瞬間をデジカメで撮影しようとシャッターに指をあげて待っていた。

「日の出の時間過ぎてるのにまだ陽が昇らないっておかしいわね」
 デジカメを抱えて日の出のシャッターチャンスを待っているぼくの目の前に座ったオバサンがいた。もう、席はがらがらなのに。そのオバサンの話し方がデヴィ夫人そっくりだった。

 ぼくは、オバサンの後頭を写すほど、愉快なやつじゃないので、やむなく場所をずらして冒頭の日の出画像を撮影する。

「それを食べ終わらなければ、ずっとここにいなさい」
 その後、朝食バイキングで爆食していると、横からさっきのデヴィ夫人の声がする(怖)

 小学生低学年ぐらいの息子?甥?孫?に延々と説教していた。子供は涙目になっている。子供にバイキングの元をとらせようとしても絶対に無理だって。それにガミガミ言われながら食べるご飯は、どんなご馳走でも不味くなります。隣の席のぼくまで落ち込んでしまい、食欲がなくなった。

 仙台港FTには10時ぐらい入港する。夢から覚めた気分だ。もうこれ以上は乗れないというぐらい超満員のバスに揺られ仙台駅前に着いた。流石に疲労困憊である。

 少しでも早く帰宅したかったので、仙台の繁華街には寄り道せず新幹線ホームへまっすぐ入った。

 新幹線にさえ乗ってしまえば、あっという間に福島の自宅へ還れる。

 慌てて、つばさ何号だかに飛び乗った。

 札幌ベース、そして道内各地へ・・・

 北のサムライの新たなる冬の企画、なかなかよいプランニングだったじゃないか。

 そして、この旅もいよいよ終わりかなんて、感傷に浸りながら独りごちていると、例のJR発車メロディが流れ、ドアが閉まった。

 ”本日は、JR東日本をご利用いただきありがとうございます。この列車は、当駅(仙台)を出ますと次は大宮、大宮にて停車いたします”

 おい!

 ちょ、ちょっとお〜

 福島は?郡山は?宇都宮は?なんで全部スルーなんかい?いきなり大宮かい?

 寝台特急カシオペアだって、もう少し停まるぞ!

 オウ、マイ、ガア!

 一瞬、気絶しそうになった。信じられん。最後の最後にやらかしてしまった。

 もっ、もとい!

 旅の終わりは、新たなる旅の始まりに過ぎないのだ。

 俺ほどの旅の者となると、自動的に次の旅がセットアップされちまうようだぜえ(TT)

 東海道でも上越でも旅人キタノは流離ってくるかい。

 俺の旅は流れに逆らわずに彷徨うのが基本だ(嘘)

 というより、明日から普通に仕事っしょ。

 どうしませう?

 懐かしい拙宅付近の光景や雪に覆われた安達太良山が、次々に後方へと消えていった。


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 北の冬旅の雰囲気をお伝えしたくて、つらつらと駄文を書き連ねてまいりました。

 地味な旅の話でしたが、ご覧の皆様にはお楽しみいただけましたでしょうか。

 すべてのアクションを札幌からかけるというやり方を試してみました。したがって、今回の旅はいきあたりばったりというわけではなく、ネットを駆使した周到な計画の上に成り立っています。お陰で費用も旅の規模のわりには格安になりました。

 冬の北海道は6年ぶり4回目です。冬は流石に毎年はいけません。家庭的にも予算的にもきついです。次の冬旅は10年後ぐらいかな?

 この夏には、いきあたりばったりの北海道キャンプツーリングを再開したいと熱望しているところです。

 それでは、いつかどこかの旅の空にて!



FIN



記事 北野一機



2011年1月吉日連載完了



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